目次
序 論
第一章 津田左右吉の中国古典研究
一、中国古典研究の方法論
二、『論語』と『孟子』の先後関係
三、出土資料を生かす津田の方法論
第二章 『史記』仲尼弟子列傳と『古論』
一、孔子は『易』を読んだのか
二、『史記』が引く孔子言行録と『魯論』系『論語』
三、弟子問と弟子解
第三章 定州『論語』と『齊論』
一、『論語』の成立過程と定州『論語』
二、『漢書』董仲舒傳所引の孔子言行録
三、『春秋繁露』所引の孔子言行録
第四章 鄭玄『論語注』の特徴
一、解釈の差異
二、総合性と体系性
三、禮を以て論語を説く
第五章 何晏『論語集解』の特徴
一、「一」・「元」と「道」・「無」
二、「道」の実現
三、無為の治と禪讓
第六章 皇侃『論語義疏』の特徴
一、梁の武帝と平等
二、皇侃と『論語義疏』
三、性三品説と平等
第七章 邢昺『論語注疏』の特徴
一、皇侃と劉炫
二、佛教的解釈と玄學的解釈
三、注に寄り添う
結 論
附章一 中国の津田左右吉評価と日中の異別化
一 中華民國期における津田左右吉評価
二、津田の中国蔑視と「近代主義」
三、戦後中国の津田評価
四、異別化と普遍化
附章二 儒教に見る形と心――喪服と孝心――
一、喪服の形と心
二、恩愛と孝心
三、孝心の形骸化と反発
四、形と心
文献表
あとがき
内容説明
【序論より】(抜粋)
『論語』は、現在に至るまで、東アジアで最も読まれてきた古典である。現在、『論語』は、多く日常倫理の規範を示す道徳の書として読まれている。だが本書は、『論語』の道徳性や孔子の思想を解明しようとするものではない。「古典中國」と呼ぶべき秦漢帝國から隋唐帝國までの中国において、『論語』がどのように形成され、「古注」と総称される注釈がどのような特徴をそれぞれ持つのかを明らかにするものである。そこには、「古典中國」の構成員が、自らの国家と社会のあり方をいかなる拠り所に基づいて共有していたのか、という問題関心がある。むろん、拠り所の中心は、「五經」と総称される儒教の經書とその解釈であり、それぞれの制度や国政がいかなる經義に基づき正統化されたかについては、幾許かの成果を世に問うてきた。そうした中で、「五經」に含まれない『論語』が、それなりの重要性を持って「古典中國」の拠り所になっていることに気づいた。
『論語』の形成については、すでに出土している『齊論』の公表を待てば、さらなる新しい見解を導き出し得る可能性もある。しかし、それが未公開である以上、伝世文献によってここまで推測可能であると論証しておくことも、十分意義のあることであろう。