目次
解題 顔之推と『顔氏家訓』
序致第一
教子第二
兄弟第三
後娶第四
治家第五
風操第六
慕賢第七
勉学第八
文章第九
名実第十
渉務第十一
省事第十二
止足第十三
誡兵第十四
養生第十五
帰心第十六
書證第十七
音辞第十八
雑芸第十九
終制第二十
内容説明
【本書より】(抜粋)
『顔氏家訓』の全訳を思い立ったのは、早稲田大学に赴任して四年目、大学院の演習で『顔氏家訓』を扱ったことを契機とする。それまで、『抱朴子』外篇、『捜神記』、『世説新語』と六朝期の文献を大学院の演習で読んできたが、六朝から隋唐に至る思想の展開の中で、『顔氏家訓』の重要性に気づかされることも多かった。また、大学院生の中にも、六朝の道教や史学思想、小学を専門とする学生がおり、かれらにはとりわけ『顔氏家訓』は重要であった。
『抱朴子』外篇については、渡邉義浩「『抱朴子』の歴史認識と王導の江東政策」(『東洋文化研究所紀要』一六六、二〇一四年)、『捜神記』・『世説新語』については、渡邉義浩『「古典中国」における小説と儒教』(汲古書院、二〇一七年)として演習の成果をまとめたが、三書を全訳することはなかった。これに対して、すでに宇都宮清吉を代表とする日本語訳がありながらも、あえて『顔氏家訓』の全訳を試みたのは、原文の一字一字に向き合って見たかったからである。中国の貴族制を研究していくうえで、それほどまでの重要性が、『顔氏家訓』に存在すると考えたためである。
中国の三世紀から九世紀、すなわち「古典中国」の再生産期に支配階層を形成した貴族は、⑴農民に対する直接的・間接的支配者であるという階級支配者としての側面、⑵国家の高官を代々世襲するという政治的特権官僚としての側面、⑶「庶」に対して「士」の身分を持つという身分的優位者としての側面、⑷「庶」が関与し得ない文化を担うという文化的優越者としての側面のほか、⑸皇帝権力に対して自律性を保持するという側面を属性に持つ。⑴は、漢代の豪族から清代の郷紳まで、中国における支配層に共通して見られる性質であり、⑵も周代の卿・大夫・士や後漢時代の「四世三公」と称される高級官僚家には看取し得る属性である。⑶は、同じく周代の卿・大夫・士に、⑷も宋代以降の士大夫階級に見られる属性である。とすれば、中国貴族の諸属性の中で、その存在を特徴づけるものは、⑸の皇帝権力からの自律性である。貴族を特徴づける⑸皇帝からの自律性は、⑷文化的諸価値の専有を基盤とする。
『顔氏家訓』の重要性は、一方で⑷文化的諸価値、中でも儒教が貴族を存立させる根本であることを繰り返し説きながらも、⑸皇帝権力からの自律性を薄めていくことにある。(はじめにより)
『顔氏家訓』は、顔之推(五三一~五九一年)が著した、子孫に対する訓戒書である。七巻(明版に二巻本あり)、全二十篇より成る。全二十篇には、教子篇・兄弟篇・後娶篇・治家篇など家を保つための戒めがあるほか、勉学篇・書證篇・音辞篇という顔子推の学問の中心を論じた篇、文章篇・雑芸篇など貴族としての幅広い教養を示す篇もある。顔之推が、仏教信者であるにも拘らず、顔氏は、孔門の顔淵(顔回)の子孫たることを誇りとしているため、その生活の第一の規範は、儒教に置かれた。したがって、『顔氏家訓』の中では、儒教の尊重する家族道徳・秩序の維持に、なかでも「礼」の遵守にとくに意を用いている。風操篇は、「礼」の具体像を描き出す。また、武事からは距離を置くべきであるとし、誡兵篇では、子孫に対して暴力や武事への傾斜を戒めている。『顔氏家訓』は、聖賢の教えをそのまま説くのではなく、顔之推の生活体験の具体的記録に基づき、南北の生活慣習の相違を指摘し、広い知見と教養をその子孫に要求する。そして、現実の身の処し方と、本来の理想的なあり方を区別して論じている。また、帰心篇においては、仏教について高く評価する一方で、玄学・道教に対しては好意的ではない。『顔氏家訓』は、後世に愛読され、唐宋では家訓の代表書であった。清では、書證篇・音辞篇の持つ小学の学問的価値が高く評価された。また、日本にも平安時代には伝えられており、寛文二(一六六二)年刊の和刻本が存在する。(解題より)