目次
山陽道一:播磨
山陽道二:播磨
山陽道三:美作
山陽道四:備前/備中/摂津/備後
山陽道五:安芸(備後)
山陽道六:安芸(備後)
山陽道七~十三:(欠本)
山陽道十四:周防/長門
南海道一:紀伊(伊勢)
南海道二:紀伊(伊勢)
南海道三:淡路/阿波
南海道四:讃岐
南海道五:讃岐(播磨)
南海道六:伊豫
南海道七:伊豫
南海道八:土佐
南海道九:土佐
南海道十:土佐
内容説明
【解題より】(抜粋)
本書の原本は、国立公文書館所蔵「続編孝義録料」で、首巻および一から九十九までの全百冊からなる。それらは、首巻、總記一~七、畿内一~七、東海道一~十五、東山道一~二十、北陸道一~八、山陰道一~六、山陽道一~十四、南海道一~十、西海道一~十二であり、当初、この百冊が存在していたが、現在では、その中の十冊(總記四、東海道十三・十四、山陽道七~十三まで)が欠本となっている。いつ、この十冊が失われたのか、何故、この部分が欠本となったのかは明らかではない。体裁についてみると、首巻・總記の部分は、勘定所によってまとめられ統一のとれた編集がなされている。それ以外の部分は、支配・地域ごとに一応の区分整理はされているものの、總記のようには統一されていない。全国から書き上げられた提出物を、勘定奉行所で首巻目次に示されたように大きく区分し、まずは幕府領から、編集整理し、「總記」とした。恐らくこれに続く巻も、さらなる点検・修正を加え、順次これに近づけていく作業努力が続けられたかのようにもみえる。膨大な史料を、先ずは、「總記」からまとめ、以下、逐次点検整理を加え、『官刻孝義録』の続編として刊行していく構想があったと思われる。『官刻孝義録』は、提出された事例がきれいに整理編集され全体の統一が図られている。一方、本書「続編孝義録料」は、これとは大きく異なる。書き上げられてきた事例は国別・領主別に大別されたが、それらの事例は、『官刻孝義録』のように徳目別に分類されることもなく、また、全事例の伝文などは、ほぼそのまま収載されている。それ故に、各人の身分や年齢が不記載であったり、表彰徳目がはっきりとしないような事例も少なくない。提出されたものはあまり手を加えられることなく、不統一のまま分冊された。しかし、却って、そのことがまた、表彰内容・表彰に至る事情などを具に語ることとなる。操作をしないままの記事から多様な「ナマ」の情報を読み取ることができるのが、本史料の『官刻孝義録』にはない大きなメリットであるといえよう。当時の権力者である幕府や藩がここに収載されたような行為を「善行」として表彰した背景にも思いを巡らせることを忘れてはならない。書き上げられてきた「善行」の裏側はどうだったのだろう。恐らくそこには、それとは反対の状況があったであろうことが推測される。何を「善」とするのか、一般に道徳的な面もあろうが、まずは、時の「権力」にとって好ましいものを「善」としてそれを称える事が素直な解釈であろう。人びとの日常の営みの中から何が「善行」として抽出されるのか、それは、多様であろうけれどもその抽出された「事例」には、それぞれの地域の「権力」のあり方が反映されている。見方を換えれば、権力にとって好ましい「善行」のその裏側には、好ましからざる事柄が横行していたとも考えられる。好ましからざる事情や風俗を糺すあり方のひとつが、それとは逆の行為を「善行」として人びとに示すことが本書のねらいであったから。提出された数多の「善行」事例の裏側には、また、それと同じくらい数多の好ましくないような事柄があったであろうことを看過することはできない。本書に収載されている多くの事例の表と裏の双方に目を向けていくならば、得られる情報はさらに倍増する。
『続編孝義録料』正誤表