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続編孝義録料 第二冊

東海道

続編孝義録料

江戸時代後期、全国規模で庶民の行状を記した貴重史料を翻印刊行―諸藩・御代官所・御預所からの書上類

著者 菅野 則子
ジャンル 日本史
日本史 > 近世
出版年月日 2017/11/27
ISBN 9784762942228
判型・ページ数 A5・472ページ
定価 11,000円(本体10,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

第二冊(十五―廿九)


東海道一:伊賀/伊勢(山城・大和・下総)

東海道二:伊賀/伊勢(山城・大和)
             
東海道三:伊勢

東海道四:伊勢   
       
東海道五:尾張(美濃)
  
東海道六:三河/遠江(近江)

東海道七:遠江/駿河/伊豆(下総)

東海道八:相模(駿河・河内・美作・武蔵・常陸)
       
東海道九:武蔵

東海道十:武蔵(上野・相模・上総・播磨)

東海道十一:武蔵(下総・河内・上総・安房・摂津)

東海道十二:安房/上総(武蔵・上野・三河)
         
東海道十三~十四:(欠本)

東海道十五:常陸(陸奥・美作・下総・出羽)

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内容説明

【解題より】(抜粋)

 本書の原本は、国立公文書館所蔵「続編孝義録料」で、首巻および一から九十九までの全百冊からなる。それらは、首巻、總記一~七、畿内一~七、東海道一~十五、東山道一~二十、北陸道一~八、山陰道一~六、山陽道一~十四、南海道一~十、西海道一~十二であり、当初、この百冊が存在していたが、現在では、その中の十冊(總記四、東海道十三・十四、山陽道七~十三まで)が欠本となっている。いつ、この十冊が失われたのか、何故、この部分が欠本となったのかは明らかではない。体裁についてみると、首巻・總記の部分は、勘定所によってまとめられ統一のとれた編集がなされている。それ以外の部分は、支配・地域ごとに一応の区分整理はされているものの、總記のようには統一されていない。全国から書き上げられた提出物を、勘定奉行所で首巻目次に示されたように大きく区分し、まずは幕府領から、編集整理し、「總記」とした。恐らくこれに続く巻も、さらなる点検・修正を加え、順次これに近づけていく作業努力が続けられたかのようにもみえる。膨大な史料を、先ずは、「總記」からまとめ、以下、逐次点検整理を加え、『官刻孝義録』の続編として刊行していく構想があったと思われる。『官刻孝義録』は、提出された事例がきれいに整理編集され全体の統一が図られている。一方、本書「続編孝義録料」は、これとは大きく異なる。書き上げられてきた事例は国別・領主別に大別されたが、それらの事例は、『官刻孝義録』のように徳目別に分類されることもなく、また、全事例の伝文などは、ほぼそのまま収載されている。それ故に、各人の身分や年齢が不記載であったり、表彰徳目がはっきりとしないような事例も少なくない。提出されたものはあまり手を加えられることなく、不統一のまま分冊された。しかし、却って、そのことがまた、表彰内容・表彰に至る事情などを具に語ることとなる。操作をしないままの記事から多様な「ナマ」の情報を読み取ることができるのが、本史料の『官刻孝義録』にはない大きなメリットであるといえよう。当時の権力者である幕府や藩がここに収載されたような行為を「善行」として表彰した背景にも思いを巡らせることを忘れてはならない。書き上げられてきた「善行」の裏側はどうだったのだろう。恐らくそこには、それとは反対の状況があったであろうことが推測される。何を「善」とするのか、一般に道徳的な面もあろうが、まずは、時の「権力」にとって好ましいものを「善」としてそれを称える事が素直な解釈であろう。人びとの日常の営みの中から何が「善行」として抽出されるのか、それは、多様であろうけれどもその抽出された「事例」には、それぞれの地域の「権力」のあり方が反映されている。見方を換えれば、権力にとって好ましい「善行」のその裏側には、好ましからざる事柄が横行していたとも考えられる。好ましからざる事情や風俗を糺すあり方のひとつが、それとは逆の行為を「善行」として人びとに示すことが本書のねらいであったから。提出された数多の「善行」事例の裏側には、また、それと同じくらい数多の好ましくないような事柄があったであろうことを看過することはできない。本書に収載されている多くの事例の表と裏の双方に目を向けていくならば、得られる情報はさらに倍増する。

『続編孝義録料』正誤表

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