ホーム > 正倉院鏡と東アジア世界

正倉院鏡と東アジア世界

正倉院鏡と東アジア世界

鏡鑑のサイズ・重量・材質・紋様に描かれる仏教思想の影響まで 詳細に検討、唐・中国製か、天平・日本製かの議論に及ぶ

著者 川勝 守
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 魏晋隋唐
日本史
日本史 > 古代
出版年月日 2017/07/08
ISBN 9784762965913
判型・ページ数 B5・762ページ
定価 19,800円(本体18,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

口 絵

はじめに

第一部 正倉院鏡の研究

第一章 正倉院鏡のデータベース作成と正倉院鏡の問題提起
 第一節 正倉院鏡のデータベース作成
 第二節 正倉院鏡目録、北倉・南倉別番号順データベースの作成
 第三節 正倉院鏡目録、北倉・南倉別号数順と正倉院鏡五十六面の確定とその鏡種
 第四節 正倉院鏡サイズのデータベース整理

第二章 『国家珍宝帳』鏡記事と正倉院鏡の径長・重量数値
 第一節 『国家珍宝帳』の鏡記載
 第二節 『国家珍宝帳』の鏡記載重大・径長記事と正倉院鏡径長・重量の実測数値
 第三節 『国家珍宝帳』鏡付箋墨書等の検討
 第四節 『国家珍宝帳』鏡、背文様説明の疑問・問題点

第三章 第17号雲鳥飛仙背円鏡・第18号山水花虫背円鏡の正倉院鏡の位置
 第一節 第17号雲鳥飛仙背円鏡・第18号山水花虫背円鏡両鏡のサイズ
 第二節 「雲鳥背」・「山水花虫背」・「鳥獣背」等鏡文様の分類

第四章 正倉院宝物平螺鈿鏡について
 第一節 正倉院の平螺鈿鏡        
 第二節 正倉院北倉・南倉所蔵平螺鈿鏡の花葉鳥獣文様
 第三節 正倉院北倉・南倉所蔵平螺鈿鏡の花葉鳥獣文様の材料とその産地
 第四節 正倉院北倉・南倉所蔵平螺鈿鏡の材料産地
 第五節 正倉院平螺鈿鏡の評価と位置   
 第六節 正倉院平螺鈿鏡の螺鈿貝殻産地の特定

第五章 正倉院宝物の宝飾多彩鏡について
 第一節 正倉院の金銀平脱鏡      
 第二節 正倉院の銀貼山水八卦背八稜鏡
 第三節 正倉院の七宝鈿背十二稜鏡

第六章 正倉院の海獣葡萄鏡について
 第一節 正倉院の海獣葡萄鏡のサイズと形態   
 第二節 正倉院の海獣葡萄鏡の文様の特徴とその技法
 第三節 正倉院海獣葡萄鏡に先行する鳥獣鏡について
 第四節 正倉院海獣葡萄鏡の制作時期と泉屋博古館所蔵海獣葡萄鏡の時期区分

第七章 正倉院の海磯鏡について
 第一節 正倉院の海磯鏡のサイズと形態 
 第二節 法隆寺献納宝物中の海磯鏡
 第三節 宝庫北倉の「山水鳥獣背円鏡」

第八章 正倉院鳥獣花文背鏡四種
 第一節 正倉院の舞鳳文鏡と鳥獣疾駆文鏡のサイズと形態
 第二節 正倉院鳥獣花文鏡と泉屋博古館所蔵鳥獣花文鏡の鏡型式分類比較

第九章 正倉院儒教道教中国思想文背鏡
 第一節 正倉院の儒教道教中国思想文背鏡のサイズと形態
 第二節 正倉院儒教道教中国思想文背鏡と泉屋博古館所蔵儒教道教中国思想文背鏡

第十章 正倉院漫背鏡について
 第一節 正倉院北倉第4号漫背八花鏡について   
 第二節 正倉院南倉漫背鏡について   
 第三節 正倉院北倉・南倉漫背鏡の材質について

第十一章 正倉院鏡の蛍光エックス線分析による材質調査
 第一節 正倉院鏡の蛍光エックス線分析事例   
 第二節 正倉院鏡の蛍光エックス線分析事例記載・未記載

結 び─蛍光エックス線分析による材質調査の成果と課題

第一部の結び

第二部 正倉院鏡の源流を求めて中国出土鏡所蔵機関を訪問する

第一章 『考古』1959 年第1期以来、隋唐鏡の出土事例
 第一節 『考古』1959 年第1期以来の隋唐鏡データベース
 第二節 『考古』1959 年第1期以来の隋唐鏡型式分類
 第三節 『考古』1959 年第1期以来の隋唐鏡のサイズ

第二章 『文物』1974年第1期~ 2016年第5期、隋唐鏡の出土事例
 第一節 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期の隋唐鏡
 第二節 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期の隋唐鏡型式分類表
 第三節 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期の隋唐鏡サイズ

第三章 中国各地博物館銅鏡目録等における隋唐鏡の調査
 第一節 『国家図書館蔵陳介祺蔵古拓本選編・銅鏡巻』唐鏡
 第二節 王綱懐編著『三槐堂蔵鏡』隋唐鏡  
 第三節 陳佩芬編『上海博物館蔵鏡青銅鏡』隋唐鏡
 第四節 王士倫編著・王牧修訂本『浙江出土銅鏡』隋唐鏡
 第五節 長沙市博物館編著『楚風漢韻─長沙市博物館蔵鏡』隋唐鏡
 第六節 安徽省文物考古研究所・六安市文物局編著『六安出土銅鏡』唐鏡
 第七節 旅順博物館編『旅順博物館蔵銅鏡』隋唐鏡
 第八節 広西壮族自治区博物館編・黄啓善主編『広西銅鏡』隋唐鏡
 第九節 王趁意著『中原蔵鏡聚英』実物篇銅鏡名録、隋唐鏡

第四章 近代日本における隋唐鏡蒐集の調査
 第一節『泉屋博古』鏡鑑編(樋口隆康、2004)隋唐鏡データベース
 第二節 特別展『唐鏡』財団法人泉屋博古館(樋口隆康、2006)データベース

第二部の結び

第三部 正倉院鏡・隋唐鏡のその後─「唐宋変革と鏡」及び中華帝国の東アジア世界への拡散─

第一章 『考古』1959 年第1期以来、五代宋遼金元明清鏡の出土事例
 第一節 『考古』1959 年第1期以来、五代宋遼金元明清鏡
 第二節 『考古』1959 年第1期以来、五代宋遼金元明清時代別鏡鑑サイズ
 第三節 『考古』1959 年第1期以来、五代宋遼金元明清時代別鏡鑑文様型式分類

第二章 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期、五代宋遼金元明清鏡の調査
 第一節 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期の五代宋遼金元明清鏡鑑目録
 第二節 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期の五代宋遼金元明清時代別鏡鑑サイズ
 第三節 『文物』1974 年第1期~ 2016年第5期の五代宋遼金元明清時代別鏡鑑文様型式分類

第三章 中国各地博物館銅鏡目録等における五代宋遼金元明清鏡の調査
 第一節 『国家図書館蔵陳介祺蔵古拓本選編・銅鏡巻』金鏡
 第二節 王綱懐編著『三槐堂蔵鏡』五代宋遼金元明清民国鏡
 第三節 王士倫編著・王牧修訂本『浙江出土銅鏡』五代宋元明清鏡
 第四節 長沙市博物館編著『楚風漢韻─長沙市博物館蔵鏡』五代宋元明清鏡
 第五節 安徽省文物考古研究所・六安市文物局編著『六安出土銅鏡』五代宋金元明清鏡
 第六節 旅順博物館編『旅順博物館蔵銅鏡』五代宋遼金元明清銅鏡
 第七節 広西壮族自治区博物館編・黄啓善主編『広西銅鏡』五代宋元明清民国銅鏡
 第八節 王趁意著『中原蔵鏡聚英』実物篇銅鏡名録、宋金鏡

第四章 沙元章著『遼金銅鏡』について
 第一節 沙元章著『遼金銅鏡』遼鏡   
 第二節 沙元章著『遼金銅鏡』金鏡

第五章 中世的世界への銅鏡文化の展開─「帝国と鏡」の議論の深化─
 第一節 五代・宋鏡の特質─泉屋博古館所蔵鏡について─
 第二節 平安期における鏡像の大転換─鏡背文様から鏡表文様へ─
 第三節 日本中世における鏡像の大発展─鏡表毛彫り諸尊像から懸仏立体諸尊像へ─

第三部の結び          

結語/跋/索引/英文レジメ

このページのトップへ

内容説明

【はじめにより】(抜粋)

日本の歴史において東アジア世界が果たした役割は決定的である。1世紀の後漢光武帝の金印や3世紀の「親魏倭王」卑弥呼の時代以来、近世・近代に至る2千年近く、常に然りであった。東アジア世界はいかなる歴史的空間か。一言に言えば、中国王朝国家と周辺国家の関係する「場」である。周辺「国家」がいかに形成されたか、これを東アジアの歴史と関連させて理解する。これが本書の目的である。

著者は旧著『聖徳太子と東アジア世界』(吉川弘文館、2002)、『日本国家の形成と東アジア世界』(吉川弘文館、2008)、『三角縁神獣鏡と東アジア世界』(汲古書院、2012)、『三角縁神獣鏡と東アジア世界 続』(汲古書院、2015)において、西嶋定生氏の所論を継承して、3世紀に倭国女王卑弥呼が魏王朝から「親魏倭王」とされたのは卑弥呼が魏王朝の冊封関係に包摂されたものと理解した。その魏側の卑弥呼に対する外交文言で鏡について「汝が好物を与える」とあることに注目した。これは単に「汝に好物を与える」のではない。そうとすると「汝に完好な鏡を与える」というだけになって、鏡の持つ政治的な意味が著しく減じると思ったからである。「汝が好物を与える」的な「汝に好物を与える」とはいかなる事柄か。卑弥呼が女王であることに関係する。鏡は女性の持ち物、外出の際に鏡を持っているのは女性であろう。だから魏王朝は卑弥呼に鏡百枚を下賜し、その鏡は三角縁神獣鏡であり、女王卑弥呼は魏王朝から鏡がもたらされると、国中各地の首長たちに配布した。それで同鏡は九州から関東まで日本各地の古墳から出土した。著者の三角縁神獣鏡の理解は、それが魏王朝の版図で鋳造され、倭国に舶載鏡として渡来したという考え方が基本である。従来中国において三角縁神獣鏡は一面も発見されておらず、出土事例から三角縁神獣鏡が魏王朝の版図で鋳造されたとは十分には言えないので、三国呉の鏡工人が日本に渡来して作造したという王仲殊氏説が出るくらいである。それが最近の王趁意氏の発見により、三角縁神獣鏡が魏王朝の版図で鋳造されることは全くあり得ないとは言えなくなった。ただ、著者川勝は三角縁神獣鏡を魏王朝の版図で発見するだけを目的に研究したわけではない。三角縁神獣鏡がいかなる文様図像の系譜を持つかに研究関心を展開させ、日本三角縁神獣鏡紋飾の淵源─四川地方の揺銭樹・画像石・神獣鏡画像鏡の調査─の一章を作成した。四川揺銭樹の仏像・西王母像─初期仏像の意義の再検討が行われ、次に四川地方の揺銭樹仏像・初期仏像の他地方・他種文物への変換、次に四川系神獣像の形成と構造、次に四川地方から陝西・甘粛・河南・山東への揺銭樹・画像磚・神獣像の転換過程を論じて、三角縁神獣鏡の神獣文様が、四川地方に入った仏教思想や仏像の影響を受けた中国神仙像の変化により、四川から黄河流域の河南・山東への華北=魏王朝の領域への展開と捉えたのである。中国鏡の舶載問題は3世紀の倭国女王卑弥呼の時代だけでなく、その後も続く。4、5世紀に及ぶ仏獣鏡や呉鏡の問題も然りであろう。それが7世紀の隋唐鏡、特に海獣葡萄鏡などに関心が続く。その頂点に8世紀の奈良天平時代の正倉院所蔵鏡の問題がある。これは従来作成のデータベースの再活用が可能である。課題は「正倉院所蔵鏡(略称正倉院鏡)と東アジア世界」、正倉院鏡と同時代の中国鏡である隋唐鏡との比較が重要である。そして正倉院鏡はおよそ8世紀の奈良時代までで終焉し、平安・鎌倉期の新しい鏡の発生を見せるが、それは隋唐鏡が8 、9世紀に終結し、五代・宋鏡といった新しい中国鏡の展開を見せるのと軌を一にしている。8、9世紀における唐帝国の崩壊は中国周辺諸国に甚大な影響をもたらした。朝鮮半島の新羅から高麗へ、中国東北の渤海から契丹へ、中国西南雲南地方の南詔から大理国へ、等々、東アジア世界は大激動したのである。そうした古代から中世世界への政治変動に鏡鑑はどのような役割変化を見せたのであろうか、そうした新しい課題が本書の研究対象となる。従来看過されてきた東アジアにおける鏡鑑文化の総合的理解を期そうと考えている。大方のご批判を頂きたい所以である。

このページのトップへ