目次
一、公羊三世説の成立過程〔『日本中国學會報』第三十二集、一九八〇年一〇月〕
著者の修士論文の前半に相當する。當時、〝随分と古典的な〔古色蒼然たる?〕論文ですね〟という先學からの評価を傳聞したが、その後の著者の研究方向を決定したものとして、いまだに愛着がある。ただし、〝二からどうして三になるのか、その間の論理的必然性いかん〟という他の先學からの直接的な問いに對しては、適切な答えがいまだに見つかっていない。
二、何休三世異辭説試論〔『東方學』第六十一輯、一九八一年一月〕
著者の修士論文の後半に相當する。何休の三世異辭説に關するこのような性格規定は、著者の中で、今も變わっていない。
三、春秋學に於ける「孔子説經」説話について〔『東方學』第六十五輯、一九八三年一月〕
著者が始めて『左氏傳』に言及した論文で、後に、「義から事へ――『左氏傳』の出現――」〔本書第八章〕へ収束する。ただし、〝「屬辭比事」とは、おそらく、春秋の解釋法を述べたものであり、これは『公羊傳』の方法であるとともに、董仲舒を代表する漢代公羊學の方法でもある〟〔六一頁〕という一節は、後に、まちがいであることが發覺する〔本書第七章、「屬辭比事」とその背景〕から、削除しなければならない。
四、漢代春秋學に關する二、三の問題――『春秋繁露』兪序篇と『史記』太史公自序――〔『跡見學園女子大學紀要』第一六號、一九八三年三月〕
このうち、「空言」と「行事」の問題は、後に「義から事へ――『左氏傳』の出現――」〔本書第八章〕へ収束し、さらに、「緯書と古文學――左氏説を中心に――」〔本書第九章〕へ發展する。
五、災異説の構造解析――何休の場合――〔大阪大學中國學會『中國研究集刊』張號、一九九五年一〇月〕
資料が多いわりに、結論は平凡だが、何休の災異思想は、これ以上でも、これ以下でもない。
六、災異説の構造解析――董仲舒の場合――〔早稲田大學東洋哲學會『東洋の思想と宗教』第十三號、一九九六年三月〕
方法論的には、前章の「何休の場合」と代わり映えがしないが、重澤俊郎氏以來の通説に對する批判〔附論〕には、今でもそれなりの意味がある、と思っている。
七、「屬辭比事」とその背景〔『日本中国學會報』第四十八集、一九九六年一〇月〕
『左氏傳』の晩出性について、始めて本格的に論じたもので、次章の「義から事へ――『左氏傳』の出現――」に収束する。
八、義から事へ――『左氏傳』の出現――〔『兩漢における詩と三傳』汲古書院、二〇〇七年一二月〕
雜誌論文ではなくて、シンポジウム用の原稿なので、既に發表濟の論文との重複が多い。具體的には、後半〔第六節「本事」「行事」「實事」以降〕はオリジナルだが、前半は、ほぼ、第七章の″「屬辭比事」とその背景〟によっている〔その一部は、更にさかのぼって、第三章と第四章とによっている〕。なお、著者は、ここで、『左氏傳』の晩出説を唱えているのであって、僞作説を唱えているわけではない。″僞作〟というからには、本物が必要なのだが、そもそも『左氏傳』の本物など、存在しないからである。
九、緯書と古文學――左氏説を中心に――〔大阪大學中國學會『中國研究集刊』玉號、二〇一〇年一月〕
第四章に始まる「空言」と「行事」の問題の發展形であり、著者にとって、これから探究すべき中心課題である。
十、《書評》佐川修著『春秋學論考』〔東京大學中哲文學會『中哲文學會報』第九號、一九八四年六月〕
先學から、〝随分と勇ましい書評ですね〟と揶揄された記憶がある。確かに、表現は、若さゆえの客氣あふれているが、、内容としては、今讀んでも、それほど違和感はない。ただ、〝今度の佐川氏の新著(と言っても、舊稿の集積であるが)はどうであろうか〟とか、〝(なぜ重複して本書に掲載したのか、疑問である)〟とかは、今回の自分にそのまま跳ね返ってくるようで、内心忸怩たるものがある。
〈附録一〉
十一、相勝から相生へ――兩漢に於ける五徳終始説の變遷に關する一般公式――〔『跡見學園女子大學國文學科報』第二十五號、一九九七年三月〕
十二、〝白魚と赤烏〟の話――兩漢に於ける五徳終始説の變遷に關する特異事例――〔『跡見學園女子大學紀要』第三十一號、一九九八年三月〕
數多くの資料を、たった一つの原則で料理しようとした實験作で、はじめはよかったが、最後は支離滅裂、収拾がつかなくなってしまった。實験は、どうやら失敗だったようである。〈附録〉としてまで無理に掲載するわけは、後學に、この二作を、論文としてではなくて、資料集として活用して欲しいからである。ここには、當該の問題に關する資料が數多く集められているから、それらを使って、著者が思いもよらなかった立派な理論を組み立ててくれることを、後學に期待したい。
〈附録二〉
『春秋學用語集』補遺〔新稿〕
君請・曰禮・君無怨讟・其可乎・不亦難乎・吾不能是難・有志・世有・將焉・若一・雅樂・起・致者・託始・別名・極道・重故・道用師・詐戰・孰與・有力・仁之・家事・其諸・暴師・兵車之會・存亡・棄其師・爲内諱也・猶可・得禽
本書中、唯一の書き下ろしである。まるで〝牛を割く雞刀を用いる〟ようで、巨體はびくともしないだろうが、〝細かいことが氣になるのが僕の悪いくせ〟〔〈相棒〉〕なのである。
内容説明
本書は、古稀をみづから記念して、舊稿をあつめたものである。遠大な一つの計畫に、もとづいて蓄積していったものでは勿論ないが、發表順に並べてみると、通奏低音が容易に見つかる。本書を〝「義」から「事」へ――春秋小史――〟と名づけた所以である。ところで、學問の眞髄は疑うことにあるはずなのに、昨今、新奇なものを輕々しく信じてしまう傾向がつよい。だから、本書を出版する目的は、實はもう一つある。著者が守っている立場が、果たして孤壘なのかどうか、確認したいのである。本書をお讀みになり、私の理論も含めて、〝全てはまだまだ疑い得る〟とお思いになる方は、どうか手を擧げて頂きたい。本書は、″記念〟を目的とするため、敢えて初出〔原形〕のまま掲載した。しかし、それだけではあまりにも藝がないので、それぞれの論文について、初出の場を示すついでに、現在の時點での著者の感想等を少々つけ加えることにする。