目次
書翰のジャンル
殷周の書翰文/秦漢の書翰文
六朝の書翰文
簡潔な注釈たりうるか
標題の命名
第二章 友と清宴をたのしもう─曹丕「与呉質書」を中心に─
「与呉質書」の内容
「与呉質書」の四特徴
文雅な曹丕像
曹丕と蕭兄弟
曹丕と蕭兄弟書翰
陳後主「与詹事江総書」の内容
第三章 書翰の名手はわしじゃ─応璩の書翰文─
日常性
ユーモア
誇張
美文的彫琢
応璩書翰の意義
第四章 二流の書翰で失敬─王羲之の書翰と尺牘─
尺牘の三段構成/尺牘解釈の困難
公私と雅俗の比例
尺牘の価値
書翰と尺牘の連続性
「与会稽王牋」の文章
桓温「薦譙元彦表」との比較
天は二物を与えず
第五章 書翰は文学であります─鮑照「登大雷岸与妹書」を中心に─
鮑照「登大雷岸与妹書」の文章
呉均「与朱元思書」の文章
庾信「為梁上黄侯世子与婦書」の文章
劉孝標「重答劉秣陵沼書」の文章
鑑賞用書翰文の価値
第六章 裏をよまねばならぬぞ─劉孝儀の「北使還与永豊侯書」─
南北の交流使節/「北使還与永豊侯書」の内容
蔑視感情/陳腐な先入観
優等生の感想文
ホッとしたわい
第七章 皇太子がお便りします─蕭統蕭綱兄弟の書翰文─
早熟な十五歳(兄)
文学と賢才(兄)
哀悼の情(兄)
大仰な表現(弟)
攻撃性(弟)
繊細な感覚(弟)
兄弟の文学的資質
第八章 構成は三段できめよう─美文書翰の書式─
書儀と月儀
三段構成
二流文人の文例集
書儀としての信憑性
「十二月啓」の価値
第九章 これが書翰のお手本じゃ─「十二月啓」訳注─
太簇正月
夾鍾二月
姑洗三月
中呂四月
蕤賓五月
林鍾六月
夷則七月
南呂八月
無射九月
応鍾十月
黄鍾十一月
大呂十二月
第十章 書翰は気どってかこう─王褒「与周弘譲書」を中心に─
千里の面目
望郷の書翰文
類型的な叙しかた
隠逸書翰の食言
恋情書翰の虚構
装飾と美文
第十一章 母さまにお会いしたい─宇文護母子の書翰文
無名氏「為閻姫与子宇文護書」
宇文護「報母閻姫書」
口語化と美文化
率直な感情吐露
健全な儒教精神
いちずな訴え
第十二章 臣にならぬか─招隠書翰─
楊暕の「与逸人王貞書」
招隠の風
魏の招隠書翰
沈約「為武帝与謝朏勅」
梁武帝期の招隠書翰
清節と寛仁
江淹「為宋建平王聘逸士教」
平和な世の産物
読後感よき文学
索 引
内容説明
【本書より】(抜粋)
本書は書翰文、つまり用事などをしるして、他人におくる手紙の文章について論じたものである。
ふつう、書翰はなんらかの具体的な用件があって、それを相手に伝達するためにかかれる。それゆえ、用件がつたわりさえすれば、その書翰は用ずみとなり、やがては廃棄されることだろう。大事件にかかわるならしらず、通常の用件であれば、用ずみの書翰が珍重され、後世につたわってゆくことはありえない。それが書翰文の宿命であり、だからこそ実用文とみなされてきたのである。ふるい中国でも、それはおなじだった。
ところが、本書がとりあげる六朝期になると、具体的な用件にとぼしいかわりに、むやみに文飾がおおい書翰文が発生してきた。賦のごとき彫琢をほどこした書翰、華麗な山水の描写で終始した書翰などがそれだ。それらは、用件のとぼしさに反比例するかのように、修辞をこらした美文でかかれ、文学性をたかめている。そして受取人以外の人びとからも、よまれることを意識しており、いわば実用文とはことなる鑑賞用書翰文だといってよかろう。
六朝文人たちは、なぜこうした鑑賞用書翰文をかいたのか。それは、当時の文章美文化現象の一環だったといってよいが、直接的には自己の文才を顕示し、それによって立身の道をきりひらこうとしたからだろう。それゆえ、彼らは自分がかいた鑑賞用書翰文を、よき読者(文壇の名伯楽や、高位高官にツテのある友人)によんでもらうことを欲した。そうしたよき読者が、称賛してくれることによって、自分の才腕が世にしられるのを期待したのである。
こうした書翰の文章は、他ジャンルよりも立身に有利だった。当時の主要な文学ジャンルは五言詩だったが、これは貴顕が主催する文会に出席できなければ、そもそも公表することさえできなかった。さらに実用に供する碑や誄の文も、遺族から委嘱されねばかく機会もない。その点、送付すればよんでもらえる(すくなくとも、その可能性はある)書翰文は、寒門文人や野心ある若者が立身のきっかけをつかむには、簡便で都合のよい文学ジャンルであった。そうした事情もあって、六朝では書翰文、とくに鑑賞用の書翰文が盛行し、結果的に、文学的にも価値ある名篇が輩出してきたのである。
こうした鑑賞用書翰文について、本書では、大要つぎのようなことを指摘した。
○三段構成(「①時候のあいさつ、②相手のようす、③自分の近況」という構成)を脳裏におき、その構成を意識しながらつづっている。
○みずからをかざり、気どったような字句がおおい。書翰中に「私は山水の日々を満喫しています」とあるときは、おおく「浪々の身からひきあげてほしい(=就職を世話してほしい)」の意を寓している。また、書翰で「隠遁したい」とのべていても、貴顕から声をかけられるとサッと出仕することもめずらしくない。
○行文の文飾ぶりと内容の虚構レベルとは、おおむね比例している。それゆえ文飾おおき書翰は、内容的にも虚構(気どりや誇張)がふくまれるとかんがえてよい。そうした書翰をよむ場合は、慎重に裏をよんでゆくよう留意せねばならない。
本書は、こうした鑑賞用書翰文をふくむ六朝の書翰文に対し、行文や内容の特徴、虚実の見わけかた、書式、読解のしかたなど、なるべく幅ひろい方面から論じたものである。
第一章「作家の簡潔な注釈たりうるか」では序論もかねて、六朝までの書翰の歴史をざっとみわたし、また六朝書翰文の虚構性を指摘しておいた。
第二章以後は時代順にならべた。まず第二章「友と清宴をたのしもう」と第三章「書翰の名手はわしじゃ」は、いくぶんか実用性をのこした、曹丕と応璩の書翰文を論じたものである。第四章「二流の書翰で失敬」でとりあげた王羲之書翰も、実用的な性格がこいものだ。とくに羲之の尺牘は仲間うちの存問や連絡に徹したもので、鑑賞用書翰とは対照的な性格を有したものである。
第五章「書翰は文学であります」においては、六朝特有の鑑賞用書翰として鮑照「登大雷岸与妹書」等をとりあげ、その意義や価値について論じてみた。この章から第十章までは、すべてこの種の鑑賞用書翰について論じたものである。第六章「裏をよまねばならぬぞ」では劉孝儀「北使還与永豊侯書」、第七章「皇太子がお便りします」では蕭統蕭綱兄弟の書翰文、第十章「書翰は気どってかこう」では王褒や呉均らの書翰文を、それぞれとりあげて、鑑賞用書翰の特徴を解明し、またこれらを正確に読解するための注意(裏をよむ)も指摘しておいた。
また第八章「構成は三段できめよう」と第九章「これが書翰のお手本じゃ」は、鑑賞用書翰の書式を考察したものである。無名氏の手になる月儀たる「十二月啓」に依拠しながら、当時の書翰文の書式、すなわち三段構成(①時候のあいさつ、②相手のようす、③自分の近況)について解説をほどこし、さらにその訳注を提示しておいた。
ここまでは魏や南朝の書翰文だったが、のこる二つの章では、北朝でかかれた書翰文をとりあげている。第十一章「母さまにお会いしたい」では北周の宇文護母子の書翰文を考察した。そして、南朝の美文書翰とはいっぷうことなる、切実かつ真摯な書翰文の意義や価値を論じてみた。また第十二章「臣にならぬか」では隋の楊暕「与逸人王貞書」など、為政者が隠者に「私の政に協力してくだされ」とよびかけた招隠書翰をとりあげた。六朝では隠逸に関連した書翰がおおいが、その実態をさぐってみたものである。