目次
凡 例
解 題
上篇第一章~第三十七章
下篇第三十八章~第八十一章
『老子指略』
内容説明
【解題より】(抜粋)
『老子』は、近年、多くの出土資料が発見されることにより、本来的な文章のあり方や、多くの人の手を経て、その思想の成立をみたことが明らかになった。本書は、そうした近年の『老子』の研究成果をあえて取り入れず、三国時代の曹魏を生きた王弼という思想家の理解した『老子』の解釈を翻訳したものである。
それは、王弼が自らもその構築に大きな役割を果たした「玄学」の学問体系に基づいて、統一的に『老子』を解釈したことを尊重するためである。長い期間に複数の著者により改変が続けられた現行の『老子』は、必ずしも体系的な著述を持つものではない。王弼よりも少し前の鄭玄が、様々な起源を持ち、相互に矛盾した内容をも含む儒教経典について、『周礼』を頂点とする「三礼体系」によって、すべての経典を統一的に把握しようとしたのと同じように、王弼は、複雑な『老子』の全体像を自らの哲学体系の中で解釈することに努めた。そのため、王弼を見い出し、高く評価した何晏の『論語集解』と同じように、王弼の注釈は本文から逸脱することも辞さず、あくまでも自らの哲学体系により、自らの理想とする『老子』を表現しようとした。(中略)王弼・何晏が仕えた曹魏の基礎を築いた曹操は、漢を「聖漢」と正統化する儒教に反発し、新たな価値基準として「文学」を宣揚して、儒教の価値を相対化した。王弼や何晏の『老子』への接近は、こうした儒教の相対化を背景とする。しかしながら、後漢「儒教国家」で正統化され、時代の価値基 準のすべてとなっていた儒教、就中、その政治思想の中核にある「聖人統治」は、王弼・何晏には抜きがたいものであった。このため、かれらの「玄学」の中心には、「聖人統治」があり、『老子』はそれを正統化するための新たな思想として解釈された。王弼の注だけによって『老子』を解釈する必要性は、そうした独自性にもある。
【凡例より】(抜粋)
◎本書は、曹魏の王弼の『老子』注および『老子指略』を訓読し、補注を附して、日本語訳したものである。
◎『老子』注は、道蔵本を底本として、『経典釈文』・道蔵集注本・孫鑛本・道徳玄書本・享保本・明和本・
永楽大典本・武英殿本・二十二子本・古逸叢書本およびその他の諸本と対校し、紀昀・易順鼎・劉師培・陶鴻慶・兪樾・馬叙倫・陳柱・蒋錫昌・楼宇烈・辺家珍・服部南郭・宇佐美灊水・古屋昔陽・屋代輪池・大槻如電本・桃井白鹿・冢田大峰本・東条一堂・石田東陵・波多野太郎の校記を参照して正文を定めた。また、『老子指略』は、『正統道蔵』所収の『老子微旨例略』を底本として、『雲笈七籤』所収の『老君指帰略例』と対校し、王維誠・楼宇烈・辺家珍の校記を参照して正文を定めた。