目次
術數學――數と易のパラドックス――(川原秀城)
漢代における術數と天文學的宇宙論(髙橋あやの)
テキストの變容する過程に關する一試論――『洪範五行博』を題材に論ず(平澤 歩)
中國歴代王朝における天文五行占書の編纂と禁書政策(佐々木 聰)
儒學・術数・方技を結合する――朱震亨『風水間答』の達成と挫折(水口拓壽)
五四以後中國「子平」術面臨的困境與轉進(中國語)(張 哲 嘉)
五四以後に中國の「子平」術が直面した苦境とその轉進(日本語)(張 哲 嘉(水口拓壽 譯))
終わりに――術數學研究の途上にて(水口拓壽)
内容説明
【始めにより】(抜粋)
本書は、編者のわたくしを含めた五名の研究者――川原秀城・張哲嘉・佐々木聰・髙橋あやの・水口拓壽――が、二〇二〇年五月に東方學會第六十五回國際東方學者會議の一部として開催豫定だったシンポジウム「術數學研究の課題と方法」の企畫に基づいており、そのために準備濟であった各自の報告内容に推敲を加え、論文集にまとめて刊行するものである。シンポジウムは、折惡しくもかの疫病蔓延のため取り止めとなったが、わたくしたちは既に一年以上をかけてシンポジウムを企畫し、各自の報告内容を練り上げていたのであり、その成果を學術書(論文集)の形式で公表しようということで、右記全員の意志が固まった。後から平澤歩も執筆陣に加わり、本書は六名の著者による論文集として制作を進めることになった。
川原秀城「術數學――數と易のパラドックス――」は、まず中國歷代の書籍日録(特に正史の藝文志や經籍志)に據る限り、『四庫全書』以前における術數學の定義は、數の哲學、具體的には暦算と易學を中核に置く數術だったと述べる。しかし術數學は、暦算と易學を中心として進展した結果、必然的に數と易のパラドックスが理論内部に生じたという。それは、理數を追究する數理學的思考と、経學として易數を追究する人文學的思考の葛藤/混淆であった。次に、再び中國歷代正史の藝文志・經籍志に着目し、それらが數術即ち術數學と、醫術即ち方技學・方術(狹義)を、常に峻別して二術としたことを指摘する。そしてこれを承け、方術と術數は、異なる範疇に屬する學術と解すべきだと結論する。
髙橋あやの「漢代における術數と天文學的宇宙論」は、まず術數學と天文の關係性という從来閑却されてきた問題を、『史記』に即して考察する。その結果は、同書では「數」と「天數」が、形而上學的世界を把握する槪念として用いられ、反對に「數」よりも「術數」、また「天數」よりも「天文」の方が、具體的な技術に近い意味を持つというものである。次にその上で、漢代の人々が宇宙論をどのように捉えていたのか、揚雄と張衡の事例を中心として實像を探究する。中でも、渾天説の宇宙論が、漢代の天文観測と深く結び付いていたことを明らかにする。科學史的觀點からは、蓋天説と渾天説の差異に注目し、それら自體の分類・比較を行うことが重要となるが、各説の唱えられた営時の實情を檢證することが、思想史的觀點からは必要であると、著者は最後に提議する。
平澤歩「テキストの變容する過程に關する一試論――『洪範五行博』を題材に論ず」は、『洪範五行傳』の用いられ方の變化と、そのテキストの變容について論じる。『洪範五行傳』は、尚書洪範の學として生み出され、営初は專ら尚書學の中で用いられていた。その後、『春秋』や『易』と組み合わせて用いられたり、月令との理論的な整合を求められたりするようになった。やがて、月令と複合した新たな文獻を生み出し、 そこから更には、『洪範五行博』のテキスト自體に大きな變化が生じた。その結果、隋唐期の文獻に引かれた『洪範五行博』には、當初の性格と大きく異なるものまでもが含まれている。本論文では、歷代の文獻に収められた引文を照合してこのことを確認し、これらの變化を生んだ原因について論じる。
佐々木聰「中國歷代王朝における天文五行占書の編纂と禁書政策」は、勅撰・官撰及びこれに類する天文五行占の類書を「勅撰系天文五行占書」と呼び、その流布や海外傳播、禁書政策との關係を、宋以前と元以後の狀況に分けて檢討する。從来は專ら個別の書籍に對して、内容の分析が行われてきた分野である。歷代正史の書籍目録と著者自身の傳本調査に據れば、勅撰系天文五行占書の編纂が歷史を通じて繼續された一方、漢末に始まったその禁壓が元代以降に緩み始め、徐々に民間にも流布するようになった。また明淸ではそれに對する禁書が有名無實化し、一部の書籍が刊本となって流布したという。そして、こうした狀況は天文五行占の地位低下と表裏一體の現象だったが、却って廣く社會に流布することで、天文五行占をめぐる怪異觀が社會通念として浸透していったと述べる。
水口拓壽「儒學・術數・方技を結合する――朱震亨『風水間答』の達成と挫折」は、元代の「儒醫」として知られる朱震亨が、風水を論じた唯一の著作に着目して、そこに現れた混種的・複合的な知のあり方を讀解する。朱震亨は、醫學文獻である『黄帝内經素間』に典據を求めて、地氣ではなく天氣(天から下降する氣)の效果を重視し、かつ墓地ではなく宅地の吉凶を重視する新しい型の風水理論を作り、それによって術數と方技の間に架橋を試みた。彼はまた、『詩経』『書經』及び程頤・朱熹の心性論に典據を求めて、風水という術數の一分野を、儒學を頂點に置く諸學藝の體系中に定位した。風水は、聖賢が天意に從って制作した術數として正當化され、人が土地の吉凶を認知できる能力も、天が人の心に具わっているという論理のもとで説明されたのである。
張哲嘉「五四以後中國「子平」術面臨的困境與轉進(五四以後に中國「子平」術が直面した苦境とその轉進)」は、命理の代表的分野である子平術に着目し、それが五四新文化運動の前後に被った逆風と、「命理三大家」と稱される衰樹珊・徐樂吾・韋千里などが取った生存戰略を檢討對象にする。戰略の類型として著者が抽出するものは、第一に子平術の命理書籍を平易に書き改め、知識の改造や再定義を行うこと、第二に子平術が西洋科學に符合すると主張し、ひいてはそのために命理知識の「科學化」を進めること、第三に子平術自體の科學性は強調しないが、少なくとも結果的に、それが統計學的檢證に堪えると説くことである。今日も盛行する命理は中國醫學と同じく、表面的には舊い傳統を繼承しながら、實際には少なからず近代化の波を經験しているというのが、本論文の歸結になる。
六篇の論文は、扱われる術數分野や時代が異なるだけでなく、術數學に對する認識の如何や關心の所在も、著者間で必ずしも一致していない。その點を批判的に見られる向きがあるかもしれないが、本書の制作目的は、術數學研究の「正解」や「正統」をわたくしたちで決議することではなく、まして多数決方式でそれを行うつもりはないので、このような不一致は、むしろ自然なことだと考えている。(中略)
中國傳統文化の研究對象として術數學に注目することは、それが天人相關の宇宙觀を精緻に體系化しながら、數理的思考や象徴の體系をめぐる思考を高度に發達させ、地上に生きる人間の欲望と恐れに向き合い續けた、中国獨特の知的領域であるという點において大きな重要性を持つ。現在の廣域的な華人社會においても、術數學の有する文化的影響力は依然として無視できない。本書は、兩漢から中華民國に及ぶ術數學の通史的槪説としても讀んでいただけるので、これまで術數學に關心をお持ちでなかった方々にも、既に術數學について一家の言を有しておられる方々にも、ぜひ本書にお目を通していただきたく思う。そして、忌憚のないご意見やご批正を頂戴することができれば幸いである。
Issues and Methods in Research on Computational Arts (術數學 Shu-shu-hsüeh)