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熊本藩刑事判決録

人命篇

熊本藩刑事判決録

◎熊本藩が記録した刑事判決録から近世の刑法史を読む!

著者 藩法研究会
ジャンル 日本史
日本史 > 近世
出版年月日 2022/03/24
ISBN 9784762942402
判型・ページ数 A5・356ページ
定価 9,900円(本体9,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序(高塩 博)


解  題

熊本藩刑事判決録「人命篇」について(山中 至)
人命篇判決一覧(山中 至)


翻  刻

凡 例
一 人命 第一冊 宝暦五年(一七五五)より文化七年(一八一〇)まで
 (一)第一分冊 宝暦五年(一七五五)~寛政三年(一七九一)
 (二)第二分冊 寛政三年(一七九一)~文化元年(一八〇四)
 (三)第三分冊 文化二年(一八〇五)~文化七年(一八一〇)

二 人命 第二冊 文化八年(一八一一)より文政八年(一八二五)まで

三 人命 第三冊 文政九年(一八二六)より天保五年(一八三五)まで

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内容説明

【序より】(抜粋)
 熊本大学付属図書館に寄託されている永青文庫の中には、江戸時代の膨大な刑事判決録が所蔵されている。これは、熊本藩の刑法典適用の記録である。藩法研究会は、公益財団法人永青文庫の許可を得てこの判決録を翻刻刊行することとした。熊本藩は外様大名の細川氏が肥後国を中心として五四万石を領有する大藩である。その刑法典である「刑法草書」は、第六代藩主細川重賢のもとで実施された宝暦の藩政改革の一環として制定された。はじめの刑法典は、宝暦五年(一七五五)四月から施行した「御刑法草書」(本文五八条附録二条)である。本法典は、重大かつ明確な弊害を除き去るための要綱を盛り込んだ応急的な刑法典であり、その法文には熊本藩刑法としての基本的な考え方が示されている。熊本藩はこれを施行しながら増補修正を加え、さらに体系的な刑法典を編纂した。これが八編から成る「刑法草書」である。
【解題より】(抜粋)
 1熊本藩は宝暦四年五月に『刑法草書』を編纂するが、それは明清律の研究成果を犯罪の構成要件論と刑法理論に反映させたものであり、幕府『御定書』(寛保二年)と並んで諸藩の刑事立法と刑事政策に大きな影響を与えるものであった。『刑法草書』が刑法史において有する意義の中で第一とすべきは、『御定書』をはじめ依然として追放刑が大きな比重を占めていた当時にあって、『刑法草書』は追放刑を原則廃止して、我が国で初めて犯罪者の更生・改善を目的とする徒刑を創設したことであろう。この『刑法草書』の施行(笞徒刑の実施)は宝暦五年四月である。『刑法草書』は、名例・盗賊・詐偽・奔亡・犯姦・闘殴・人命・雑犯の八編の構成であるが、各編ごとに判決録が編集されており、ここに覆刻する『人命』(全三冊)は人命編(謀殺、祖父母父母を殺、親族を殺、主を殺す、奉公人主を殺す幷主奉公人を殺、姦夫を殺、盗賊を殺、妖術毒薬を以人を殺、闘殴し及故らに人を殺、故らに人を傷る、誤殺傷戯殺傷過殺傷、人を威逼して死を致す、父祖殺さる)に該当する、宝暦五年から天保六年までの全二六九判決を収録したものであり、犯罪類型ごとの編纂を試みているが、分類は不完全で全く未分類のままの分冊もある。この『人命』収録の最初の判決は「天明元年九月廿二日 市三郎・藤吉・紋七・平右衛門謀殺未遂一件」(判決番号〇〇一)である。市三郎は、謀殺条(謀殺未遂)により「八〇笞二年眉無」、藤吉・紋七は欠落したとある。『参談書抜』に、笞徒刑仰付の初発は天明元年九月廿二日と記載されているが、まさに当該判決が『人命』の濫觴となっている。
【編集:守屋浩光・安高啓明/翻刻校訂:鎌田 浩・山中 至】

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