目次
自 序
前篇 唐代律令制関係文書の研究
第一部 唐代均田制の実施関係文書の研究
はじめに――わが国における唐代均田制研究の課題――
第一章 唐令より見たる現存唐代戸籍の基礎的研究――均田制施行との関連において――
一 はじめに
二 現存唐代戸籍の書式
三 燉煌県開元四年・十年籍稿(P三八七七V)にみえる給田記載
四 おわりに
第二章 唐代燉煌戸籍の居住園宅について――その班給と田土の地割とに関連して――
第三章 唐代西州における均田制の開始――貞観十四年九月の手実を中心に――
第四章 唐代均田制の給田基準攷――とくに吐魯番盆地の実例を中心に――
第五章 唐代均田制下における燉煌の田土給授について
一 はじめに
二 燉煌県受田簿断簡と付着紙片
三 燉煌県受田簿の外形的特徴と成立年代
四 燉煌県受田簿の特質
五 おわりに
第六章 唐開元十六年燉煌県史氾知節請給田土衛志曹大慶牒の一分析
はしがき
一 文書の概観
二 文書の記載形式上の特徴
三 文書の内容分析
む す び
まとめ 唐代における均田法施行の史料雑抄
序 言
一 西州高昌県等狭郷の給田記録
二 沙州燉煌県寛郷の給田申請牒について
むすびに代えて――均田法下の嶺南地区
第二部 令文関係文書の研究
第一章 永徽二年東宮諸府職員令の復元
――大英図書館蔵同職員令断片(S一一四四六)の発見に際して――
一 永徽二年職員令復元の経緯
二 新発見職員令断片と他断巻との接続状況
三 永徽二年職員令の外形的特徴
四 編纂者記載と撰上期日
第二章 唐考課令等写本断片(Дx六五二一)等
――開元二十五年撰『格式律令事類』に関連して――
一 問題の所在
二 本断片(Дx六五二一)の条文復元
三 条文復元にかかわる史料と解釈
むすびにかえて――本断片の特質――
後篇 燉煌帰義軍期の政治社会および仏教教団関係文書の研究
第一部 帰義軍節度使支配期(唐晩期・五代・宋初)の政治社会と仏教教団
第一章 帰義軍節度使支配期(唐晩期・五代・宋初)の政治社会
第一節 帰義軍(唐後期・五代・宋初)時代
一 はじめに――帰義軍節度使の燉煌支配
二 帰義軍の行政的支配機構
三 胡漢雑居の住民構成
四 帰義軍と燉煌仏教教団
五 莫高窟千仏洞と帰義軍
六 むすびにかえて
第二節 燉煌発見唐・回鶻間交易関係漢文文書断簡考
一 はじめに
二 文書断簡の復元とその外形的特徴
三 唐・回鶻間交易文書の一分析
四 むすびにかえて
第三節 燉煌文書をめぐる堀敏一先生の思い出
――付「戌年六月十八日諸寺丁壮車牛役部(S五四二V)」に見える
燉煌寺戸の性格に関する若干の考察――
第二章 燉煌仏教教団十六大寺から十八大寺の成立と蘭若
一 莫高窟と窟寺
二 莫高窟の性格
三 燉煌仏教教団大寺の増建
四 燉煌の蘭若
第三章 燉煌莫高窟の性格
一 莫高窟景観
二 莫高窟で催された燃燈会
三 燉煌仏教教団と窟寺と三所禅窟
第四章 燉煌莫高窟を支えた人達
第一節 燉煌莫高窟を支えた人達
――燉煌研究院編『莫高窟供養人題記』の数量的分析――
一 はじめに
二 『供養人題記』に見える九・十世紀の窟龕数について
三 『供養人題記』に見える供養者の姓氏別分布の一特色
四 九・十世紀における莫高窟の造営者たち
第二節 燉煌莫高窟供養人図像題記について――その配置を中心に――
第二部 燉煌「社」集団の組織と特色
第一章 唐・北宋間の「社」の組織形態に関する一考察――燉煌の場合を中心に――
第二章 唐・北宋の間、燉煌の杜家親情社追補社条(S八一六〇RV)について
はしがき
一 杜家親情社追補社条の記載形式上の特徴
二 杜家追補社条の条規
三 杜家追補社条に見える贈例
四 杜家追補社条に見える三駄と三贈(請贈)
五 杜家追補社条の作成年代
六 杜家追補社条に見える親情
おわりに
第三部 燉煌文献の性格とその封蔵
曹氏帰義軍後期、燉煌管内仏教教団の写経事業記録の分析
――「燉煌遺書」の性格を探って――
はじめに
一 九八〇年代以降、燉煌管内仏教教団の主要な写経記録の分析
二 九八〇年代―一〇〇二年代燉煌管内仏教教団の写経人・勘経人の人名一覧
三 写経人・勘経人の身分構成
四 十世紀後期以降の経巻包装紙より見た蔵経写経
おわりに
附論 燉煌文書の魅力
ウィグルと中国の朝貢貿易
道円に関する文書
三つの疑問
初出一覧
あとがきにかえて
土肥先生の西域文書に取り組む研究姿勢について(石田勇作)
土肥義和先生の「龍朔二年(六六二)高昌県思恩寺僧籍」釈読(速水 大)
十世紀末期から十一世紀初期の燉煌写経事業において
武周新字が用いられている点への指摘の重要性(十時淳一)
索 引(語句・用語索引・文書番号索引)
中文目次・英文目次
内容説明
【自序より】(抜粋)
これまで発表してきた論文を一冊にまとめたらどうかというお話をいただいたのは、十数年前のことである。この時は『八世紀末期~十一世紀初期 燉煌氏族人名集成 氏族人名篇 人名篇』(二〇一五年)・『同上 索引篇』(二〇一六年)の準備と執筆に忙殺され、論文集の出版にまで手が回らなかった。
学生時代、東洋文庫で燉煌文献に出会い、以後の燉煌文献の研究をつづけながら、イギリス、フランス、ロシア、中国等の諸外国を訪ねながら現物の燉煌文献に触れる機会を得たことは貴重な体験でもあった。今となっては、この時の体験は思い出深い記憶として強く残っている。この時の史料をもとにしてその断片を分析しながら一文にしたのが本書である。拙い一文ではあるが、研究者、これから研究される若い人の礎になれば、望外の喜びである。本書は前篇と後篇に分かれるが、前篇は主に燉煌文献を用いた均田制と律令制に関わる研究をまとめた。後篇は八世紀―十一世紀の燉煌社会の特質、とりわけ莫高窟と寺院を支えた人々の研究を中心にまとめた。
【あとがきより】(抜粋)
筆者の土肥義和氏は一貫して中国西北部から出土した文書史料を研究の対象としてきた。その研究は大きく二つに分類することができよう。一つ目は敦煌吐魯番を中心とした唐代均田制の実施状況を実証的に明らかにする研究である。そしてもう一つは、帰義軍時代の敦煌社会と敦煌莫高窟そのものの研究である。本書はその分類に沿って前篇と後編に分け、前篇には出土文書を用いた唐代の律令に関する研究を添え、後篇はその内容ごとにまとめて配置した。ともに膨大な量の文書史料を用いた実証的な研究である。これらの成果は、文書史料に対する土肥氏の真摯な調査の結実したものである。
本書は、土肥義和氏の歴史研究・文書研究の精粋を集めたものである。その研究は、長年にわたる文書の書写と人名収集という地道な作業が土台となっている。だからこそ精緻で堅牢なのであろう。本書の刊行が現在下火となっている日本の唐代出土文書研究を活性化させる契機となることを祈念してあとがきに代えたい。
Dunhuang Supplements