目次
序 言
第一部 「敲」の刑罰
第一章 江戸幕府法における敲と入墨の刑罰
一 「敲」の執行方法
二 「入墨」の形状――文字を入墨すること――
三 「敲」と「入墨」の特徴とその淵源
四 「敲」の刑罰思想と徳川吉宗
五 「敲」刑の意義
六 徳川吉宗の明律研究と「公事方御定書」
第二章 「敲」の刑罰における身元引受について
一 「敲」刑の判決を収載する判決録
二 身元引受の事例(その一)
三 身元引受の事例(その二)
四 身元引受の事例(その三)
五 身元引受の事例(その四)
六 身元引受の趣旨
第三章 「敲」の刑具について――「敲箒」と「箒尻」――
一 先行の言説
二 「敲箒」と「箒尻」
三 諸藩にみる「敲箒」
四 「敲箒」から「箒尻」へ
五 刑具変更の理由
六 「敲」の字義
補 論 「敲」に用いるムチの規格統一
一 大坂町奉行所の要請
二 江戸の町奉行所の対応
【附 録】
第一 追放人の幕府老中宛の歎願――信濃国岩村田藩の「たゝき放」をめぐって――
一 歎願の内容(その一)
二 歎願の内容(その二)
三 岩村田藩の「たゝき放」
第二 丹後国田辺藩の「敲」について
一 「敲」の初見
二 京都町奉行所への照会
三 「敲」の執行方法
四 「御仕置仕形之事」の制定
五 再び京都町奉行所への照会
六 執行方法の変更
第三 奥殿藩佐久領における「敲」の刑罰
一 幕府における「敲」の刑罰とその特徴
二 奥殿藩佐久領における「敲」
(1)関係人の出頭と判決の申渡
(2)「月代申付」と「申渡書」の手交
(3)「敲」刑の執行
三 奥殿藩佐久領の「敲」と幕府法
第四 《講演録》江戸時代の笞打ち刑について――幕府の「敲」と弘前藩の「鞭刑」――
一 幕府の「敲」
(1)刑罰の特徴
(2)「敲」刑の体系とその刑罰思想
(3)「敲」刑の意義
(4)「敲」の字義と刑具
二 弘前藩の鞭刑
第二部 人足寄場
第一章 熊本藩徒刑と幕府人足寄場の創始
一 熊本藩の徒刑制度
二 二人の越中守――細川重賢と松平定信――
三 松平定信と熊本藩
(1)白河藩立教館教授本田東陵
(2)熊本藩家老堀平太左衛門との会見
(3)「肥後物語」の閲読
第二章 幕府人足寄場の収容者について――武家奉公人と有宿を中心として――
一 「無罪之無宿」の寄場収容〔刑餘の無宿/刑餘にあらざる無宿〕
二 「年期を定」めた寄場収容――武家奉公人――
三 有宿の寄場収容
四 「年限申送者」と「良民之害ニ相成候」もの
第三章 寄場手業掛山田孫左衛――創設期人足寄場とその後についての管見――
一 山田孫左衛門の任期と世評
二 「宝暦現来集」と山田孫左衛門
三 「宝暦現来集」の寄場記事
四 寄場役人と手業
五 紙漉と手業掛山田孫左衛門
六 「褒美銭」と「煙草銭」
七 寄場逃走者に対する措置
第四章 上州小舞木村郡蔵の寄場入り――幕府人足寄場の機能に着目して――
一 郡蔵の寄場入りに関する先行研究
二 郡蔵の寄場収容から放免までの経過
三 郡蔵の処罰に関する関東郡代伺と評定所評議
四 郡蔵の寄場入りと追放刑者の寄場収容
第五章 寄場奉行一覧
寄場取扱および歴代寄場奉行
第六章 幕府人足寄場研究文献目録(稿)
第七章 「寄場人足取扱方手続書」について――幕府人足寄場の史料紹介――
第八章 《史料翻刻》長崎人足寄場史料二題
あとがき
索引(人名・事項)
内容説明
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【序言より】(抜粋)
本書は、題して『江戸幕府の「敲」と人足寄場―社会復帰をめざす刑事政策―』という。「敲」という刑罰と人足寄場の制度を扱っている。「敲」は、犯罪人にとってもう一度のやり直しがきく刑罰であった。本書は、その執行方法に光を当てることによって、「敲」刑の本質を探ろうとした。幕府の人足寄場は高校の教科書にも載っている著名な制度である。とはいうものの、その全容が解明されているわけでもない。どのような人々が収容され、その収容期間が何年であったか、歴代寄場奉行の名前と在任期間など、きわめて基本的な事柄でさえ曖昧であった。本書においてはこれらに焦点を当てて考察を加え、人足寄場の主旨を理解しようと努めた。
「敲」という名のムチ打ち刑は、江戸幕府の代表的な刑罰である。江戸の町では小伝馬町牢屋敷の表門が刑場であった。……江戸においてもまた大坂においても、その執行する刑罰のおよそ八割が「敲」刑なのである。このように、「敲」刑は江戸幕府の刑罰のうち圧倒的な執行数をかぞえるのである。しかしながら、かつてこの刑罰に学問的な考察が加えられることがなかった。なぜであろうか。「敲」刑は受刑者を下帯ひとつの裸として、ムチでもってその肩・背中・尻を交互に殴打するのであり、それは大勢の人々がわいわいと見物するなかでの公開処刑である。人権蹂躙もはなはだしい。野蛮である。このように評価したとすれば、「敲」がどのような意味をもつ刑罰であるのかを考える意欲は湧かないであろう。「敲」刑が学問の俎上にのぼらなかったのは、この辺に原因がありそうである。
『刑罪詳説』所載の「敦刑小伝馬町旧牢屋門前ノ真景」(口絵5)をはじめて眺めたとき、なにか奇異な感じをうけた。「敲」刑は、主として軽微な盗みの犯罪に適用する刑罰である。それにもかかわらず、大勢の役人が出張っていて仰々しく大袈裟である。しかも大小を腰にした武士身分が打役と数取として執行を担当しているではないか。幕府の他の刑罰とは執行の雰囲気がおおいに異なるのである。この差異の理由を探ろうとして、考察を加えたのが「江戸幕府法における「敲」と「入墨」の刑罰」である。その結果、「敲」はその具体的な執行方法を将軍徳川吉宗が自ら指示していることが判明した。つまり、「敲」は吉宗の考案するところであり、それは中国律の笞刑、杖刑というムチ打ち刑に示唆を受けつつも、刑罰の趣旨を変更して幕府特有のムチ打ち刑に衣替えさせている。
幕府のそれまでの刑罰は、死刑と追放刑が大きな比重を持ち、それらは共同体からの排除を旨とし、一般予防主義の刑罰観に立脚する。「敲」もまた、公開処刑とすることで犯罪の一般予防の効果をねらっている。しかしながら一方においては、犯罪人を共同体の内部で処遇して社会に復帰させることをめざしている。「敲」の採用は、一般予防主義から特別予防主義へと転換する契機をなしているのである。その意味で、「敲」という刑罰は近世刑罰史のうえで画期的な意味を持つのである。
「敲」刑において着目すべきは、身元引受人の制である。身元引受の制には、犯罪人をもう一度社会に定着させようとする幕府の姿勢をはっきりと看て取れる。