目次
中国古代の情報システムと社会――簡牘から紙・木簡の選択―― ………………… 藤田勝久
王位の継承から見た周の東遷――清華簡『繫年』を手がかりとして―― ………… 水野 卓
商鞅県制の推進と秦における県・郷関係の確立
――出土史料と伝世文献による再検討―― …………… 孫 聞 博(吉田章人・關尾史郎訳)
青川郝家坪秦墓木牘補論 ………………………………………………………………… 廣瀬薫雄
秦統一後の法令「書同文字」と古代社会における「吏学」について
――里耶秦簡の公文書を中心として―― ………………………… 蔣 非 非(畑野吉則訳)
秦簡に見える私的書信の考察――漢簡私信との比較―― … 呂 静・白 晨(塩沢阿美・畑野吉則訳)
漢代辺郡の文書逓伝と管理方式 ………………………………………………………… 畑野吉則
湖南長沙走馬楼三国呉簡の性格についての新解釈 …………………… 侯 旭 東(永木敦子訳)
走馬楼呉簡に見える郷の行政 …………………………………………… 于 振 波(關尾史郎訳)
漢晋期における士伍の身分及びその変化――出土簡牘資料を中心として―― …… 蘇 俊 林
出土史料からみた魏晋・「五胡」時代の教 …………………………………………… 關尾史郎
出土史料のテキストならびに略号一覧
あとがき(關尾史郎)/執筆者一覧
内容説明
【本書より】(抜粋)
本書は、「東アジアの出土資料と情報伝達」に関する編著三冊をうけて、第四冊目となる論文集である。
第一の『古代東アジアの情報伝達』(二〇〇八年)を刊行したときは、中国の出土資料と日本古代の木簡研究を、どのように比較し総合する視点を出すかということが念頭にあった。中国出土資料には、簡牘(竹簡、木簡、木牘など)・帛書・石刻に書かれた出土史料と、画像資料、考古文物がある。そのため中国では、簡牘学や簡帛学などの名称をもつ研究が蓄積されている。これに対して日本古代では、木簡学のほかに、墨書土器や漆紙文書、石刻を対象とした研究と、正倉院文書などの研究がある。こうした日中の出土資料を扱うとき、どのように共通の視点を示すかということが課題であった。
第二の『東アジア出土資料と情報伝達』(二〇一一年)では、中国と日本古代のほかに、韓国の碑文をくわえて、その機能を比較する方法を模索し、東アジアの社会の実態にせまろうとした。ここで示したのは、中国と韓国、日本古代の出土資料・石刻、古文書の機能は、すでに戦国秦漢時代の文書行政と交通システムに原形がみえているということである。その具体的な各時代の論証が、ここにはふくまれている。第三の『東アジアの資料学と情報伝達』(二〇一三年)は、とくに「資料学と情報伝達」の方法を意識した論文と、具体的な論証を示したものである。ここでは戦国秦漢時代の文書行政と交通システムにみえる簡牘研究の原形と、奄美諸島史料を扱う方法論、情報伝達の場における簡牘の用法、地域社会との関係を示している。これによって東アジアの出土資料を比較するとき、「情報伝達」という視点による資料学の有効性が提示できたのではないかと考える。しかしこれまでの編著では、いずれも出土資料の機能を比較することが主体であり、東アジアのリアルタイムの変遷を示す点では、なお課題が残されていた。
本書は、この東アジアでのリアルタイムの変遷を意識して、中国の戦国時代から魏晋時代の出土史料を扱っている。中国は、具体的な出土史料の形態と機能に即して、その変遷を示すことができる唯一のフィールドである。いいかえれば、簡牘から紙・木簡への変遷を、実物に即してリアルタイムに示すことができるのは、中国のこの時代だけである。また中国の簡牘では、同じ書式をもちながら、文書と簿籍の原本や、それを処理する抄本、廃棄された記録のように、その機能が違う場合がある。また同じ機能をもつ出土史料でも、日中で形態が異なる場合があり、形態だけでは有効な比較対象とはならない。
本書で論じているのは、中国の簡牘が描く各時代の政治と社会であるが、これらを通じて簡牘と紙文書の用途を明らかにすることは、韓国の木簡、日本古代の紙文書・木簡の使用にも、より具体的な視野を開くことになろう。このように中国出土史料の論証を通じて、東アジアの国家と社会に関する特色の解明に寄与すること、それが第四冊目の意図である。
本書では、春秋、戦国時代から秦漢、三国、魏晋、五胡十六国時代の政治と社会を対象としている。しかしそれは、文献を補う出土史料を使った歴史研究にとどまらない。出土史料は、それ自体が、社会のなかで使用される簡牘・紙文書の用途を示す同時代資料である。そのため本書の論考では、各時代の政治機構と社会のなかで、簡牘・紙文書がどのように使われたかという、機能の変遷を具体的に知ることができる。こうした中国出土史料の考察が、東アジアの資料学にとって、一つの参考になることを願っている。
【内容目次・概略】
はしがき(藤田勝久)
中国古代の情報システムと社会――簡牘から紙・木簡の選択―― 藤田勝久
戦国時代からの簡牘・帛書に書かれた書籍と文書・記録の区別、秦漢・三国時代の文書にみえる情
報システムを通じて、出土史料の機能が大切であることを指摘し、魏晋時代までの社会と簡牘・紙
の選択を概観している。
王位の継承から見た周の東遷――清華簡『繫年』を手がかりとして―― 水野 卓
『春秋左氏伝』『史記』などの文献に対して、戦国時代の清華簡『繫年』を手がかりとして、東周初
期における平王の王位継承を考察し、祖先祭祀をおこない周王朝を再興する意義を指摘している。
商鞅県制の推進と秦における県・郷関係の確立
――出土史料と伝世文献による再検討―― 孫 聞 博(吉田章人・關尾史郎訳)
『史記』と睡虎地秦簡によって、商鞅の第二次変法が秦の県制の基礎となることを確認し、郷は県
廷に所属する諸官の一部であることを指摘する。また里耶秦簡の「遷陵吏志」と尹湾漢墓簡牘の「東
海郡吏員簿」などから、新地に設けられた県の官吏や戸数を考察している。
青川郝家坪秦墓木牘補論 廣瀬薫雄
戦国秦の武王時代の木牘にみえる「王命丞相戊内史匽氏臂更脩為田律」の意義を再論する。ここでは
金文にみえる「上郡守匽氏」により、左右「内史の匽氏・臂」の二人と解釈し、商鞅変法以来の律を
再公布する制度を見いだしている。また律文の規定から、阡陌の構造を復元している。この戦国時代
の制度は、統一秦と漢代に継承されることになる。
秦統一後の法令「書同文字」と古代社会における「吏学」について
――里耶秦簡の公文書を中心として―― 蔣 非 非(畑野吉則訳)
睡虎地秦簡や里耶秦簡などを用いて、秦王朝が二十六年に命令を下した「書同文字」が、秦の公文
書システムの骨格を全国に普及させ、広大な領土の各級政府における正常な行政運営を維持するうえ
で基本条件を打ち建てたとする。秦の滅亡後は、これらの文書システムに精通した秦の吏員が漢の吏
員として転身し、漢代の公文書システムに継承したことを述べ、漢字の学習に及んでいる。
秦簡に見える私的書信の考察――漢簡私信との比較―― 呂 静・白 晨(塩沢阿美・畑野吉則訳)
秦帝国の史料である里耶秦簡の中から、私的書信とおもわれる形式と内容を考察し、すでに知られ
ている睡虎地秦墓の二つの書信や、研究が進んでいる漢代の私信と比較する。ここでは秦代書信の
書き出しや文末の表現などに、漢代の私的書信の基本的な要素があることを指摘しており、書信の
変遷を理解するうえで貴重である。
漢代辺郡の文書逓伝と管理方式 畑野吉則
居延漢簡のうち、とくに肩水金関漢簡に注目して、エチナ河流域の軍政系統の行政機構における文
書逓伝業務の管轄範囲と管理方式を考察し、文書逓伝の最小単位は部であると指摘している。また
疏勒河流域の県の民政系統である懸泉置とは、その職掌に差異があることを展望している。
湖南長沙走馬楼三国呉簡の性格についての新解釈 侯 旭 東(永木敦子訳)
長沙呉簡の研究が詳細になる一方で、全体的な位置づけが必要であることを指摘する。そして受米
簿冊と月旦簿、「君教」簡の処理過程を考察して、呉簡の性格は、臨湘侯国の主簿と主記史が保管
した文書・簿冊の一部ではないかと推測している。
走馬楼呉簡に見える郷の行政 于 振 波(關尾史郎訳)
秦漢時代では県の下の行政区画である郷で、常設の郷三老、郷有秩、郷嗇夫、郷佐の官吏が限られ
ており、多くの職務は県吏が担当したという。三国時代になると、複雑な局面に対応するため、県
廷から臨時の吏が派遣された変化を説明する。
漢晋期における士伍の身分及びその変化――出土簡牘資料を中心として―― 蘇 俊 林
秦漢簡牘にみえる士伍が、身分体系の中で重要な位置にあり、それは戸籍身分の一種で、無爵者で
あるとする。しかし長沙呉簡の戸籍には、多くは未成年者の士伍という変化があり、魏晋時代には
卑賤化する傾向を指摘している。
出土史料からみた魏晋・「五胡」時代の教 關尾史郎
長沙呉簡によって、「白」の上申をうけて「教」という許可が付けられ、諸曹に命令される手順を
明らかにした。そのうえで五胡十六国時代のトゥルファン文書にも、「教」の用法がみえることを
指摘し、簡牘と紙に書かれた行政文書の手続きに時代の変遷を見いだしている。
出土史料のテキストならびに略号一覧
あとがき(關尾史郎)/執筆者一覧