目次
前九年・後三年の呼称 後三年合戦の概要 『後三年記』の書名
『後三年記』の成立年次と作者 『後三年記』の内容 『後三年記』の欠失部の問題
『後三年記』の享受・影響 八幡太郎義家像の形成 『後三年記』の意義
第一部 注釈篇 『後三年記』詳注
1真衡の威勢 2成衡婚姻の宴 3秀武登場 4秀武逃亡 5真衡出陣
6秀武の画策 7清衡・家衡の加担 8義家着任の宴 9真衡再度出陣 10正経・助兼の援護
11欠失部(『康富記』訓読) ①真衡館合戦の様相 ②六郡分割と家衡の暴挙 ③沼柵合戦の経過と状況
11欠失部(推定復元) 12武衡加担、金沢柵へ 13義家出陣、光任の愁嘆 14斜雁の破陣
15匡房の教導 16義光来援 17開戦、景正の負傷 18苦戦、助兼の危難
19剛臆の座 20義家軍の布陣 21鬼武と亀次 22末四郎の最期
23千任の罵言 24武衡の講和策 25季方敵陣入り 26冬の再来
27兵糧攻め 28陥落の予知 29金沢柵陥落 30敵将の探索
31武衡の処刑 32武衡の命乞い 33千任の処刑 34次任、家衡を誅伐
35県殿の手作り 36官符下されず
詳注に関する参考文献一覧
第二部 本文研究篇
第一章 『後三年記』の本文研究 第二章 『後三年記』の校訂本文(研究者用テクスト)
第三部 欠失部復元篇
第一章 『後三年記』欠失部の分量 第二章 『後三年記』欠失部の内容
第三章 『後三年記』欠失部の表現 第四章 『後三年記』欠失部の復元
初出一覧/あとがき/索引 (日本学術振興会助成図書)
内容説明
『後三年記』は、後三年合戦の経緯を語る唯一の史資料であるにもかかわらず、これまでその分析は進んでこなかった。その理由は、第一に『後三年記』の成立年次が不透明であったこと、第二に絵巻物の体裁での錯簡(順序の乱れ)を正した優良なテクストが存在しなかったこと、第三に大量の欠失部分を埋める努力がなされてこなかったことにある。
第一の点については同著者の『後三年記の成立』によって院政初期の成立であることが確定し、第二、第三の点については本書の第二部「本文研究篇」、第三部「欠失部復元篇」において考証がなされ、その成果が本書第一部の「注釈篇」に盛り込まれている。その「注釈篇」には、一般的な〔本文〕〔校異〕〔口訳〕〔語釈〕に加えて、系図や地理、時代背景、学説上の問題点などについて丁寧に解説した〔考察〕も多く含まれている。
元禄十四年本『後三年合戦絵詞』(東京国立博物館蔵)は同絵巻諸本の中でもっとも鮮明で美麗なものとさ れているが、これが本書「注釈篇」の挿図として採用されている(本邦初公開)。