内容説明
【本書より】(東京大学東洋文化研究所長 大木 康)
ここに東京大学東洋文化研究所蔵『紅楼夢』程甲・程乙両本及び『嬌紅記』の影印本をお届けいたします(第一期としては程甲本『紅樓夢』)。
清代中期、曹雪芹(一七一五?~一七六三?)によって書かれた長編小説『紅樓夢』は、大貴族である賈家の盛衰をたていとに、主人公賈宝玉と林黛玉、薛宝釵ら多くの女性たちの恋と生活模様を描いた一大絵巻です。中国を代表する小説作品の一つとして、今でも多くの読者を持ち、賈宝玉、林黛玉の名を知らない人はいないといっても過言ではありません。康煕帝に重用されて清王朝の重職につき、栄華をきわめていた曹家は、康煕帝の後を継いだ雍正帝の時代になると、急転直下、官職を剥奪され、家産を没収される憂き目を見るに至りました。蝶よ花よと育てられた曹雪芹は、かくしてきわめて過酷な運命を甘受しなければならなくなります。そのような曹雪芹にとって、人生のわずかなよりどころは、失われた時を求めて小説『紅樓夢』の筆を執ることだったのだと思われます。しかし曹雪芹は、こうして書き綴った小説を、一部の親戚友人の間で回覧するばかりで、出版公開することは考えておりませんでした。そのためこの作品は、曹雪芹の生前はもとより、没後数十年間にわたって、写本の形でしか伝わっておりませんでした。その作品がはじめて印刷出版されたのが、ここに影印する程本、すなわち程偉元本にほかなりません。『紅樓夢』は現在百二十回という長さの作品として伝わっておりますが、実は曹雪芹が書いたとされるのは、八十回までであって、その後は高鶚という人が書き継いだものです。高鶚による後四十回についての評価はさまざまですが、今日まで伝わる百二十回の『紅樓夢』が世界にはじめて姿を見せたのが、この程偉元本だったのです。程偉元本は、最初乾隆五十六年(一七九一)に木活字によって刊行されました。これが程甲本です。そして、おそらく好調な売れ行きを背景にして、すぐ翌年、あらためて活字を組み直して刊行されたのが程乙本です。この程本を出発点にして、『紅樓夢』のその後の厖大な種類に及ぶ刊行史がはじまりました。その意味で、『紅樓夢』という作品がたどってきた歴史の中で、程偉元本はきわめて重要な位置を占める版本にほかなりません。
程甲本・程乙本『紅樓夢』がそろって東洋文化研究所に収蔵されるに至ったことには、一段の因縁を思わざるを得ません。まず程乙本は、昭和五十年(一九七五)から昭和五十六年(一九八一)にかけて本所に収蔵された、東京大学文学部中国文学科の教授であった倉石武四郎教授旧蔵の倉石文庫のうちに含まれておりました。そしてその後、倉石教授の高弟のお一人であり、やはり東京大学文学部中国文学科教授でもあった伊藤漱平教授旧蔵の両紅軒文庫の一つとして本所に収蔵されました。伊藤漱平教授が蔵書を両紅軒と名づけておられましたのは、その数多くのご蔵書のうち、とりわけ貴重な程甲本『紅樓夢』と絶海の孤本である明刊の小説『嬌紅記』にちなむものです。『嬌紅記』は、元の宋遠作の中編文言小説で、これには伊藤先生ご自身の翻訳もあります。一般にハッピーエンドで終わることの多い中国の小説作品において、『嬌紅記』は悲劇で終わる作品であり、その意味で、やはり作品がハッピーエンドでは結ばれない『紅樓夢』につながるものがあります。『嬌紅記』は、岡山大学の林秀一教授の旧蔵に係ります。
わたしたちは、これら運命の糸に導かれて本所に収蔵されるに至った書物を後世にまで無事に伝えてゆくことを誓うとともに、これを広く影印本によって公開し、世々学界の宝としていただければと願っております。