内容説明
【序章】より
本論文が対象とする中国現代詩は、厳密にいえば、二十世紀中国民国期の「新詩」である。「新」詩という呼称に現れているように、それはそもそも五四新文学運動の先鋒として「旧」詩に対峙することから始まった。そのため二十世紀新詩は、程度の差はあれ、常に古典詩歌の伝統を意識せざるを得なかったといえる。
ところが日本の近現代詩が伝統的和歌と比較されてその優劣を論じられることはほとんどないのとは異なり、中国では詩歌の一般読者はもちろん、新詩研究者からさえも、結局のところ新詩は芸術的達成度において旧詩に遠く及ばないという言い方がしばしばなされる。中国新詩は圧倒的質量を誇る古典詩歌という揺るぎない対抗軸をもったことで、その成熟への過程はとりわけ困難で複雑なものになった。このように新詩はその出自の革新性において表向き(文学史上)はオーソライズされながら、実は受容面でも研究面でもいまだ相応の認知と処遇を受けているとはいえないのである。
本論文は、現在の中国現代詩研究の現状における従来の流派や○○主義というタームでは括りきれない 「沈思型」詩人を代表する馮至への関心と興味を出発点としている。彼のように断続的ながらも六十余年に わたって青年―中年―老年の各時期に属する新詩を書き続けてきた詩人はほとんどいない。
本論文は二部構成である。第Ⅰ部では馮至と何らかの関わりを持つ文学者について、従来バラバラに論じ
られていた彼らの営みを、民国期の詩学課題という観点から、新たな位置づけを試みた。第Ⅱ部は主として
馮至のテクスト表現の特色を論じている。
【内容目次】
第Ⅰ部 民国期の詩学課題
概説1 芸術と実生活
第一章 〈実感〉の表現
――周作人の新体詩集『過去的生命』について
新詩草創期における新(旧)詩をめぐる評論/
新体詩集『過去的生命』の世界/〈実感〉の表現/
子供のイメージ――「観念」から「実感」へ/
むすびに――方法としての平淡自然
第二章 沈鐘社の芸術観
――ハウプトマンの戯曲『沈鐘』の解釈をめぐって
「沈鐘」の梗概/日本における「沈鐘」の紹介/
楊晦の「沈鐘」解釈/沈鐘社の〈受苦〉の姿勢
第三章 自画像の歌
――何其芳の詩集『預言』から『夜歌』へ
『預言』の世界/『夜歌』の世界/『夜歌』その後
概説2 伝統と西洋詩学
第四章 芸術形式の模索
――聞一多の〈ラファエロ前派主義〉批判
文学と絵画の境界/
「道具」としての文字・言語への関心/
「霊感の来源」について/むすびに――クライヴ・ベルの啓発
第五章 〈契合〉と〈純詩〉の希求
――梁宗岱と象徴主義
〈契合〉観/〈純詩〉観/むすびに――詩と真実
第六章 〈思考と感覚の融合〉を求めて
――九葉派の詩と詩論
〈感性〉の変革――袁可嘉の詩論/
思弁性と触覚性の融合――穆旦の詩
第Ⅱ部 〈問いを生きる〉詩学
概説3 抒情と思索
第七章 憂鬱と焦燥――馮至初期詩篇の特色
はじめに――馮至略歴/初期詩篇(一)・(ニ)/
「雪中」と「冬天的人」
第八章 意識と内在律
――馮至の長詩「北遊」について
長詩「北遊」の構成と展開/二つのエピグラフ/
通奏低音「陰沈、陰沈・・・」/内在律と形式感
第九章 〈主体〉形成の変奏曲
――馮至の「十四行」二十七首について
漢語ソネット史概観/
瀰漫と凝結――ソネット二十七首の構成と手法/情感の形式
概説4 彼此の往来
第十章 向き合うふたりの時空
――馮至のコミュニケーション観
ディスコミュニケーションの悲劇
――「河上」「帷幔」「蚕馬」/
〈窓〉を隔てた対話と接触――「伯牛有疾」/
原野に立つふたりの〈時間〉――『伍子胥』「溧水」の章/〈窓〉という境界と〈熟時〉の発見
第十一章 時空間の往来
――何其芳『画夢録』試論
はじめに――三〇年代「独語」体散文のモデル/
「彼」「此」の往来――『画夢録』夢三話の構造/
「彼」の地としての〈郷村〉/
語りの機能――〈独白者〉から〈観察者〉そして〈体験の創造者〉へ
概説5 生と死と再生
第十二章 死者を抱き続けるために
――馮至の追悼表現
もう一つの追悼――周若子の死/死者を悼む新詩/
梁遇春を悼む詩――「給秋心」四首/
『十四行集』に見える死生観/反〈感傷〉
第十三章 危機の〈養分〉を求めて
――四〇年代抗戦期馮至の批判と学術
はじめに――昆明と馮至/時代批判の雑文/
リルケ・ゲーテ・杜甫――学術研究/
危機意識と〈養分〉の摂取
第十四章 〈頽れゆくもの〉をして語らしめよ
――李広田散文を読む
十八、十九世紀英国随筆家との親和性/
〈頽れゆくもの〉――狂女と老女/
〈傷つけられるもの〉たちの関係/
「脆弱」と「移ろい」の凝視
終 章
参考文献・あとがき・索引(人名・事項)・
馮至略年譜