目次
一
1、わたしの信ずるもの(一九三一年)
2、文学改良芻議(一九一七年)
二
3、わたしたちの政治主張(一九二二年)
4、わたしの岐路(一九二二年)
5、人権と約法(一九二九年)
6、わたしたちはいつ憲法を持つことができるのか
――『建国大綱』についての疑問――(一九二九年)
7、わたしたちはどの道を歩むのか(一九三〇年)
三
8、再び建国と専制を論ず(一九三三年)
9、信心と反省(一九三四年)
10、いわゆる「中国本位の文化建設」を試評する(一九三五年)
11、充分な世界化と全面的西洋化(一九三五年)
12、孔子生誕紀念の後に書す(一九三四年)
13、個人の自由と社会進歩――再び五四運動を語る(一九三五年)
14、ある民族の自殺
――あるイギリス人学者の預言について(一九三四年)
14付、アーノルド・J・トインビー
次の戦争――ヨーロッパか、アジアか(一九三四年三月)
15、王世杰・羅隆基への三通の手紙
――「日本切腹・中国介錯」論(一九三五年)
16、敬しんで日本国民に告げる(一九三五年)
17、中国における日本の戦争(一九三八年十二月)
18、中国と日本の近代化
――文化衝突の比較研究と自由についての考察(一九三九年十二月)
四
19、自由主義(一九四八年)
20、容忍と自由(一九五九年)
21、歴史から見ると哲学は何であるか(一九二五年)
22、中国哲学発展の筋道(一九二〇年)
23、名教(一九二八年)
24、学問研究の方法(一九五二年)
25、考証学の責任と方法(一九四六年)
26、中国の伝統と将来(一九六〇年)
解 説
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内容説明
【序言より】
本書『胡適 政治・学問論集』は、『胡適文選』に入らなかった初期の重要な文章――例えば「文学改良芻議」や哲学論など――、南京国民党政府の訓政に対する批判(「人権と約法など」)、その後北平に移って「九・一八」満洲事変を経た後、『独立評論』に拠って自由主義的な政治論を書いて有名になった時期の文章(民主と独裁論争、「日本切腹・中国介錯論」など)、国民党の旧文化復興の動きへの批判、日中戦争期に駐米大使としてアメリカの世論、知識人、政府に向けて中国の抗戦の意義を訴えた講演、そして戦後に台湾で講演した学問論、最後期の総括的な中国文化史論、などを中心に集め、訳者が『政治・学問論集』として編んだものである。
一、「わたしの信ずるもの」は『胡適文選』の「わたし自身の思想を紹介する」に相当するもので、かれの思想と生涯の理解への案内である。
二、陳独秀が上海で中国共産党結成の方に進むと、『新青年』同人は分岐し、胡適は北京で丁文江ら と『努力週報』を発行して立憲政治を目指して発言し始めたが、その時期以後の文章を集めた。
三、一九三〇年末に南京国民党政府との確執を避けて北平に移った胡適は、「九・一八」満洲事変の危機に直面し、蔣廷黻らと『独立評論』を発行して言論で中華民国のために役立とうとした。その時期の政治的時局論の代表的なものを入れた。
四、大戦後、中国共産党の支配が迫り、それが現実になった時期の「自由主義」論を二篇選んだ。そして最後に、アメリカでの『水経注』研究と台湾時代に語った学問論、中国文化史論を取り上げたが、その前提になる胡適の中国哲学・文化についての考えを示した初期の二篇を加えた。
The Collection of Hu Shih’s Essays on Politics and Studies
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