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汲古選書73 日中比較思想序論

―「名」と「言」

汲古選書73 日中比較思想序論

◎言と事を密着させようとする日本人と、名分を厳密に正そうとする中国人の言語観の違いから、両者の差異を照射する

著者 王 小林
ジャンル 中国思想・哲学
シリーズ 汲古選書
出版年月日 2016/03/18
ISBN 9784762950735
判型・ページ数 4-6・304ページ
定価 4,730円(本体4,300円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

 序文(浅野裕一)

 第一章 「名」と「言」の構造
スローガンの話
スローガンの呪術性
「名教」の謎
「名」とは何か
「名」はいかに誕生するのか
「名」は構造である
「名」は変わりやすい
スローガンは「名」の一種
「名」の創造と「名」への参入
「名」を残そうとする中国人
「言」とは何か
「言」と「事」の不思議な関係
「言」をたっとぶ日本人
「言霊」に見る普遍性の思想
「言」の構造

 第二章 「名」と「言」の倫理
人生いかに生くべきか
『水滸伝』の謎
「名」にひれ伏すヒーローたち
「己を証する」武士
「名」と「言」の日記
『呉宓日記』―「己を律する」日記
『断腸亭日乗』―「己を証する」日記
「名」と「言」の臨終―孔融と陸遊の場合
「名」と「言」の臨終―芭蕉と子規の場合

 第三章 「名」と「言」の自然観
「薬」か「食べ物」か
神のない自然
「名」の自然観―「分類」の思想
「名」の自然観―「超越」の思想
「分類」と「超越」がもたらすもの
「自然」の追放と「神」の追放
「言」と「神のある自然」
「言」の自然観―「旬」の思想
「言」の自然観―「本覚」の思想

 第四章 「名」と「言」の近代
「言葉」は国を滅ぼすことも、興すことも可能だ
「革命」と「正名」―章太炎の場合
言語と政治
「保守」と「正名」―清末政治家の場合
「名」、「革命」と「理」
いわゆる「新儒家」と「名」
「名」の構造モデルにおける「奴隷」の発見―魯迅の場合
「名」の構造モデルを破壊せよ
「自分を食らう」という戦い
「大義名分」としての「言」
本居宣長の「名教」批判
宋恕の観察
アンチテーゼとしての「言」
神学的「言」体系の確立
「言」による救済
中国における「国学」の性格―日本との違い
中国における「国学」の復活―民族の救済はなるか
「名」と「言」と「東アジア共同体」の可能性

参考文献/あとがき/人名索引

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内容説明

【「まえがき」より】(要約)

 長い間私を悩ませ続けてきた「名」という概念そのものについての疑問は、その歴史的、文化的機能及び構造が明らかにされれば解けるのではないか、と漠然と考えていた。森三樹三郎氏の先行研究のおかげで、中国の思想における「名」の倫理性について多くの啓発を受け、同時に、それが日本人の意識にある「名」とはあまりにも違うということに気付いた。『万葉集』の歌などでは、「名」を言挙げされることが極端に忌まれ、さらに、言葉の「言」という文字は、しばしば「事」とも表記され、言葉と物事を同一視する考えが、古代日本人の思想的特徴をなしていたことを示している。「言」と「事」を同質のものと見ることは、ある意味で、言語行為を含めたすべての存在に即してその本質を見ることともいえる。逆に、具体的な物事を越えた形而上的な観念や政治的なからくり――「名」をあまり重んじないことをも意味しよう。古代から存在に即して本質を見る「言」「事」一致の日本と違って、歴史的に見ても、中国の場合、「名」の世界をたっとぶ傾向が強く認められる。このような違いは、倫理観、自然観、政治意識まで、日中の文化に多くの相違をもたらしたのではないか。

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