内容説明
【主要目次】
はじめに――日文研の共同研究会と本論集の趣旨――……………………伊東 貴之
第一部:東アジアの伝統的な諸概念とその再検討の試み
朱熹の「敬」――儒教的修養法の試み――…………………………………土田健次郎
心学としての朱子学――朱熹の「理」批判と経学――………………………垣内 景子
袁仁『砭蔡編』について――明代における蔡沈『書集伝』に対する批判の特例――
……………………………………………………………………………………陳 健成
陽明後学の講学活動と日常――鄒守益の詩文より見たる―― ……………永冨 青地
仇兆鰲と内丹修錬――儒教と道教のはざまで――…………………………横手 裕
阮元「論語論仁論」の評価をめぐって…………………………………………林 文孝
朝鮮思想再考……………………………………………………………………権 純哲
〈悪〉とは何か――本居宣長『古事記伝』の場合――…………………………田尻祐一郎
江戸後期の文献研究と原典批判………………………………………………竹村 英二
清代経世思想の潮流――経世学と功利学――………………………………大谷 敏夫
第二部:心と身体、環境の哲学――東アジアから考える――
仏教における身体性の問題――キリスト教との対比から――………………末木文美士
「易」の環境哲学…………………………………………………………………桑子 敏雄
拡張した自己の境界と倫理………………………………………………………河野 哲也
中国医学における心身関係………………………………………………………長谷部英一
跪拝の誕生とその変遷……………………………………………………………西澤 治彦
唐初期唯識思想の人間本質観…………………………………………………橘川 智昭
「心」と「身体」、「人間の本性」に関する試論
――新儒教における哲学的概念の再検討を通じて――………………………伊東 貴之
全真教における志・宿根・聖賢の提挈
――内丹道における身体という場をめぐって――………………………………松下 道信
江戸期における物心二元論の流入と蘭学者の心身観……………フレデリック・クレインス
近世日本における武道文化とその身心修行的性格
――中国・朝鮮の武術との比較を踏まえて――…………………………………魚住 孝至
神津仙三郎『音楽利害』の音楽療法思想にみる東洋的身体観…………………光平 有希
孔子の祭りに牛・山羊・豚は不要か?
――中華文化復興運動期の台湾における「礼楽改革」事業の一斑――………水口 拓寿
日本人の空気観――電気、空気、雰囲気という漢語をめぐって――…………新井菜穂子
自然環境と心=身問題のために――概念操作研究の勧め――……………鈴木 貞美
日本仏教における身体と精神、キリシタン時代の霊魂論の問題をめぐって
………………………………………………………………………フレデリック・ジラール
第三部:思想・宗教・文化がつなぐ/むすぶ東アジア――文化交流と文化交渉の諸相――
東アジアの南北半月孤…………………………………………………………高橋 博巳
正気歌の思想――文天祥と藤田東湖――……………………………………小島 毅
高麗と北宋の仏教を介した交渉について――入宋僧を中心に――…………手島 崇裕
太鼓腹の弥勒は仏教なのか――布袋和尚伝記考――………………………陳 継東
新井白石の漢学と西学――朱子学的「合理主義」と真理概念の普遍性において――
……………………………………………………………………………………李 梁
「教化」から「教育」と「宗教」へ――近世・近代日本における「教」の歴史――
……………………………………………………………………………………鍾 以江
梁啓超の「幕末の陽明学」観と明治陽明学……………………………………李 亜
「宗教」としての近代日本の陽明学……………………………………………山村 奨
民国知識人の文化自覚と伝統――梁漱溟の「東方化」の再解釈を兼ねて――
……………………………………………………………………………………銭 国紅
日中道義問答――日米開戦後、「道義的生命力」を巡る占領地中国知識人の議論――
……………………………………………………………………………………関 智英
二十世紀初頭、安岡正篤の日本主義のおける直接的行動主義
――安岡正篤のベネデット・クローチェ訪問計画に留意して――……………竹村 民郎
吉田松陰の革命思想とその天下観 ……………………………………………楊 際開
あとがき/附録:読者のための参考文献一覧/執筆者一覧
【はじめに――日文研の共同研究会と本論集の趣旨】より(抜粋)
本書は、国際日本文化研究センター(略称・日文研)において、二〇一一(平成二十三)年度から、四年間に亘って開催された、共同研究会「「心身/身心」と「環境」の哲学―東アジアの伝統的概念の再検討とその普遍化の試み―」(通称・伊東班)の成果報告を兼ねた論文集である。
日本でも馴染みの深い、「天」「道」「理」「気」「性」「心」「情」「欲」「礼」といった、儒教思想上の主要概念は、元来、漢語のごく日常的な語彙でもあったものが、中国思想史の展開において、道家系の諸思想や道教・仏教などとの接触や競合のなかで、次第に洗練の度を加え、宋代に至り、とりわけ朱子学の体系の確立とともに、ほぼ最終的な定式化を見た。
本書では、まずさまざまな文脈で引証され、やや手垢の付いた感も否めない、こうした諸概念について、比較思想的な検討を試みながら、思想や時代、地域などによる差異や異同を明確化することを目指している。
また、本書では、西洋哲学や日本思想、インド哲学・仏教学、イスラームなどの専門家の知見をも活用しながら、近代的な思惟様式の再検証とともに、安易な比較研究を廃しつつ、現代において、東アジアの伝統思想を普遍化する方途を探ることを、最終的な目標としている。
本書は全体で三部構成となっている。第一部の「東アジアの伝統的な諸概念とその再検討の試み」においては、主として、より専門的な意味で、東アジアの伝統的な諸概念について、個別的な考察や検証を重ねた論攷を提示した上で、続く第二部「心と身体、環境の哲学――東アジアから考える――」では、主題的に見て、より「身体」や「環境」の問題に特化した論攷をラインナップすることで、相対的に普遍的な問題提起も可能となるよう、配慮したつもりである。更に、第三部「思想・宗教・文化がつなぐ/むすぶ東アジア――文化交流と文化交渉の諸相――」は、それぞれの報告者の興味や関心に従った結果、ある意味では、やや意想外の展開や産物として、東アジアの前近代から近代に跨る、文化交流や文化交渉に関する論攷が並ぶこととなった。しかるに、当初の趣旨や目的に加えて、同時代的にも、東アジアの諸国・地域間でのより深いレヴェルでの交流、共生や和解が目指される時節柄からも、時宜に適った仕儀かと観念される。
また、全体を通じて、東アジアの伝統思想の再検証に加えて、それが有する現代的な意義や価値の探求、延いては、「心」や「身体」「環境」などをめぐる、より普遍的な意味での哲学的・思想的な考究などに関しても、一定の成果を得たものと自負している。