内容説明
【内容目次】
まえがき
前篇 大江文坡・中山城山・大神貫道などの仙敎
序 説 江戸時代中後期における道典翻刻の盛行と背景としての老莊思想の流行
第一節 江戸時代中期の「道士」谷口一雲の道敎傳授―老子傳・道德經・金丹修煉など―
第二節 江戸時代中期の戯作者・大江文坡が唱えた仙敎
第三節 攝津上宮の神官・大神貫道が著した道敎養生書『養神延命録』について
―道敎内丹説にもとづく神道的養生法―
第四節 讃岐の儒者・中山城山の注解した道敎存思法書『黄庭内景經略注』について
第五節 古本「五嶽眞形圖」を探求した人々―大江文坡・横山潤・平田篤胤―
後篇 平田篤胤の道敎理解と受容
序 説 國學者としての平田篤胤の出發―「聖人の道」批判から道敎への接近―
第一節 名醫は醫藥と呪禁を兼ねる―『志都能石屋講本』について―
第二節 神仙家・葛洪への心酔―『葛仙翁傳』について―
第三節 『傷寒論』は葛洪の從祖父葛玄の著か?―『醫宗仲景考』について―
第四節 天御中主神は道敎の最高神・元始天尊―『黄帝傳記』について―
第五節 唐土太古の三皇五帝は我が皇國の神々―『三五本圀考』『春秋命歴序考』など―
第六節 未完に終わった唐土太古傳復原の試み―絶筆『赤縣太古傳』について―
初出一覧・あとがき・索 引
【まえがき】より(抜粋)
中國の民族宗敎である道敎が、我が國古來の宗敎、習俗などの文化に深い影響を及ぼしていることは、明治以來の先人たちがいくつかの研究によって夙に明らかにしているところである。近年では福永光司氏による精力的な文獻的攷證もあり、また、筆者もささやかながら日本古代に受容された道敎文化を明らかにしたことがある。しかし、奈良平安時代に受けいれられた神仙思想や道敎的習俗などとはちがって、その後の時代、特に江戸時代の思想界における道敎の受容については、幕末近い平田篤胤の思想のなかに道敎が深く受容されている点について、楠山春樹、安居香山、酒井忠夫、福永光司の諸氏が一九七〇年代に相次いで論じられたものの、それ以後は誰も論及されていないようであり、また篤胤以外の人物の存在に目を向けようとはしない。そこで、本書では、これまで江戸思想研究でまったく知られたことのない谷口一雲、中山城山、大神貫道、大江文坡といった人物を掘り起こし、彼らが道敎を「仙敎」などと稱して深く心酔していたこと、いわゆる内丹術を修煉している人物がいたことを明らかにした。平田篤胤については、道敎典籍の理解のしかた、受け取り方を中心に篤胤の國学における位置づけを明らかにしたつもりである。
本書には、前篇、後篇ともに序説を設けて、読者への導入の役割を果そうとしている。前篇では、醫師、神道家、本草家、呪符、禹歩、善書などが道敎に深く關わっていること、さらに江戸期後半に至ると、道典に和刻本が次々に刊行されていて、道敎への違和感が薄らいできていることを指摘した。後篇では、平田篤胤が儒敎批判から始まって、次第に道敎へと傾いていく道筋を示し、さらにその意味を指摘しておいた。本書は江戸思想の一隅に、儒敎・仏敎・神道と竝んで、道敎もいくばくかの位置を占めていたことを明らかにした、おそらく我が國最初の論文集であろうといささか自負して世に送るものである。