内容説明
【主要目次】
序 章 漢代を遡る奏ゲン
― 中国裁判における審級制の起源 池田 雄一
一 奏ゲン制の導入 ― 高祖七年の詔
二 秦楚漢の再審
三 景帝の奏ゲン詔
四 張家山漢簡『奏ゲン書』案例17~案例22
五 秦代の裁判
六 嶽麓書院藏秦簡の奏ゲン案例
七 張家山漢簡『奏ゲン書』と漢代を遡る奏????ゲン
八 ゲン字の音読
第一章 張家山漢簡『奏ゲン書』訳注稿
案例17(釈文・訳注・口語訳)~案例22(同前)
池田 雄一・飯島 和俊・矢澤 悦子・鈴木 直美
板垣 明・宮坂弥代生・森本 淳・高遠 拓児
中川 正明・山元 貴尚・池田 夏樹
第二章 『奏ゲン書』関連論説・翻訳
『奏ゲン書』案例19・案例22に見える文物について 板垣 明
〔翻訳〕李学勤「《奏ゲン書》解説(下)」
飯島 和俊・板垣 明・宮坂弥代生(訳)
〔翻訳〕彭浩「談《奏ゲン書》中秦代和東周時期的案例」
飯島 和俊・板垣 明・宮坂弥代生(訳)
編集後記/索 引
紀元前一九四年に県吏を退いた人物の墓に、生前、職務で活用していたと思われる、『奏ゲン書』の表題を持つ二十二種の裁判記録が副葬されていた。出土地は、湖北省荊州市(発掘当初の行政区は江陵県)張家山の二四七号漢墓で、この裁判記録を含む一千二百余枚の竹簡は、張家山漢簡と呼称されている。二十二種の裁判記録の内、十六種は、墓主が県吏として在任した漢代初期の裁判記録であったが、残る六種は、漢代を遡り、春秋戦国から統一秦にかけての裁判記録である。
奏ゲンとは、下級審での裁判において、判決に疑義が生じた場合、上級審に判断を求める制度で、戦国末から漢代にかけての裁判は、初審が県、再審が郡、さらには中央の官府をも、この再審に関わった。所謂、中国における審級制の起源である。この新たに出土した二十二種の裁判記録の内、漢初期の裁判記録は、当時の奏ゲン制を反映し、書式も整っていたが、残る六種の漢代を遡る裁判記録は、他の十六種の裁判記録と記載形態が異なり、奏ゲン制が、統一秦、さらには、それを遡る時代に、確立していたかどうかも、これまで定かでなかった。このため『奏ゲン書』中の漢代を遡る六種の裁判記録をどのように位置付けるかに問題が残されていたが、二〇一三年六月に『嶽麓書院蔵秦簡(参)』が刊行され、同書において、漢代を遡る奏ゲンの存在が明らかとなった。ここにおいて、『奏ゲン書』中の漢代を遡る六種の裁判記録についても、その位置付けが可能となり、今回、『奏ゲン書』中の十六種の裁判記録に続き、漢代を遡る奏ゲン案例についても、訳注、口語訳を附し公刊することとした。この六種の裁判記録は、難解な用語を含むが、一件毎の内容も長文に亘り、裁判の審理過程に併せて、時代性をも浮かび上がらせる。
漢代を遡る貴重な新出裁判記録の全訳注である。