目次
第一篇 北宋期老荘思想史
序章 北宋期老荘思想通覧
「清淨(靜)」/北宋期に於ける『老子』の受容について〔『老子』批判・『老子』肯定〕
第一章 宋鸞『道徳篇章玄頌』について
宋鸞について/『道徳篇章玄頌』について/『玄頌』「序」について/自注部分について/『玄頌』の思想について〔「智」と「知」・「了悟」〕/「了悟」と先行注/結語
(附)『道徳篇章玄頌』引用注一覧
第二章 北宋・太宗『逍遥詠』について
『逍遥詠』を巡る背景〔『逍遥詠』撰述について・太宗を巡る状況〕/『逍遥詠』の思想〔「逍遥」について・「理」について・「眞空」について・「因縁」について・「錬丹」について〈①「龍虎」・②「鈆汞」・③「華池」〉〕/太宗の其の他の著述について〔『秘藏詮』・『縁識』〕/結語
第三章 晁迥の三教思想について
『道院集要』の立場/『法藏碎金録』の立場〔宗密の引用について・「世間・出世間」と三教/『昭徳新編』の立場〔「老」と「漸修」・三教思想・「世間法」と「出世間法」〕/結語
第四章 碧虚子陳景元の思想―『道徳經』注を中心に―
陳景元の思想〔陳景元の注釈観〕/陳景元『道徳經』注の思想〔『道徳經』注のテクストについて・陳景元『道徳經』注の思想〈①「道」・②「人」(「聖人」・「有道の士」・「君」及び其の他)・③「舊説」「今解」について/結語
第五章 曹道沖の『道徳經』解釈と内丹思想について
道眞仁靜先生曹道沖の生涯について/曹道沖の『道徳經』注〔曹道沖の『道徳經』注について・曹道沖の『道徳經』注の思想〈①「道」について・②「心」について・③養生的なもの〉/その他の著述に見られる思想〈『群仙要語纂集』所引「文逸曹仙姑大道歌」・『諸眞聖胎神用訣』所引「曹仙姑胎息訣」・『道樞』所引「曹道沖釋」〉〕/結語 その思想的背景
第六章 王雱の老荘解釈について―『莊子』注を中心に―
王雱『莊子』注の思想について〔「主体の定立」について〈①「道」・②「無我」「眞空」「性情」〉/「外界との関り」について―無為と有為―/王雱『道徳經』注の思想について/結語
第七章 呂惠卿『道徳經』『莊子』注釈について
呂惠卿の著作について/『道徳眞經傳』の思想〔『道徳眞經傳』について・『道徳眞經傳』の思想〈①「性」と万物一体・②「無我」・③「道」〉〕/『莊子義』の思想〔「未始有物」・「無我」・「性命の情」〕/結語 三教観
【補論 ①】『三經新義』について
第八章 林疑獨『莊子』注の思想について―理・性・命を中心に―
林疑獨注の「理・性・命」思想〔「理・性・命」・「靜・仁義」〈①「靜」・②「仁義」〉〕/林疑獨注の背景〔『孟子』の受容・仏教思想との関り〕/結語
【補論 ②】呂惠卿・林疑獨・王雱の『莊子』三注に就いて
第二篇 南宋期老荘思想史
第一章『朱子語類』巻一百二十五の検証
老荘評価/老荘批判/北宋の老荘思想との関り
第二章 董思靖『道徳眞經集解』の思想
董思靖と『集解』/「道」〔「道」について・「道」と万物〕/修道思想について〔「聖人」について・「内」と「外」について・「盡性、至于命」について〕/董思靖思想の背景〔『集解』が引用する注釈について・朱子学的思想との関りについて〕/結語
第三章 董思靖『洞玄靈寶自然九天生神章經解義』の思想
董『生神章經解義』以前の『生神章經』注釈〔王『生神章經解』所引注釈・華『生神章經注』所引注釈・董『生神章經解義』所引「疏」・王『生神章經解』〈①王『生神章經解』の性格・②王『生神章經解』と董『生神章經解義』の関係〉〕/董『生神章經解義』の思想〔体用論・本性論・「胞胎」論〕/『生神章經解義』「後序」の内容〔理気論との矛盾・老荘思想との矛盾・仏教思想との矛盾〕/結語
第四章 范應元『道徳經古本集註』の思想について
『集註』の思想〔「吾が心の初」・「應物」と「日用」・「私意」・「外學の僞」〕/思想的背景〔蘇轍『道 徳經』注・周敦頤・朱熹〕/結語
第五章 林希逸『莊子口義』について
『莊子口義』の思想〔「自然の理」・「無容心」・「性」〈①基本的立場・②「本然の性」〉〕/『老子口義』『列子口義』〔『老子口義』・『列子口義』〕/大慧・朱熹〔大慧・朱熹〕/結語「氣質の性」と多様性について
第六章 褚伯秀『南華眞經義海纂微』について
『義海纂微』の編纂方針について/『義海纂微』の思想について〔「化」・「不化」・「性」・「統治」「教 化」〕/結語
あとがき・参考文献・人名索引・文献名索引
内容説明
【はじめに】より
本著は、宋代の老荘関連文献を考察の対象とした論考を中心に整理したものである。第一篇を北宋期、第二篇を南宋期と区分しているが、より具体的に言うならば、朱熹以前と朱熹以後という区分である。もとより、当該時代の老荘関連文献を網羅的に扱ったものではない。網羅的と言う点では、近年、中国で陸続と発表されている老荘研究論著の多くが、対象を網羅的に取り上げて老荘注釈通史の様な形態を取るか、或いは「道」「有無」等のテーマに即して、様々な注釈から関連資料を引用して論じるという形態を取っているものを数えることが出来よう。これ等は確かに該当資料を渉猟した優れた研究成果であることは言うまでもないが、網羅的であるが故に、却って個々の資料の個別性が削ぎ落とされている様に思われる。本著では、この個別性の面をもう少し大事にしたいと考え、論者の関心を呼んだものを選んで取り上げ考察した結果となっている。しかし、ある程度の全体的見通しを立てる必要も感じたことから、それぞれの篇で個別検討に入る前に、第一篇では、北宋期の老荘思想全体を見渡す考察、第二篇では、『朱子語類』に見られる朱熹の老荘観に関する考察を行い、それぞれの時期に於いて論点となっている事項を浮かび上がらせる様に努めた。それが、「清淨(靜)」と「死灰・槁木」、世間性と出世間性、「無爲」と「有爲」等を巡る議論であり、又、南宋時期の「本然」と「氣質」の問題であったと思われる。
尚、蛇足ではあるが、第一篇の考察対象に王雱、呂惠卿、林疑獨が含まれ、所謂る「荊公新学」の人物に偏っているかの印象を読者諸氏に与えるかもしれない。しかし、これは、ある程度まとまった形で現存するこの時期の老荘注釈で、論者の関心を呼んだものを取り上げて考察した結果であり、当初より「荊公新学」を意識した訳ではない。しかし、結果としてのこの布陣が、当該時期の「荊公新学」の勢いを示していると言うことも出来よう。又、各章の検討は概ね対象人物の時代順に配列されているが、考察の都合上相前後している場合も有る。最後に、本著の論述中で、時には『老子』と言い、時には『道徳經』と言い、表現が不統一ではあるが、それぞれの文脈に即した使用に過ぎず、他意の有るものではないことを予めお断りしておく。
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