目次
序 章 明清搶糧搶米研究の課題と方法
明清搶糧搶米研究史回顧/本書の課題と構成
第一部 明末における搶米と救荒
第一章 明末広州の搶米と平糶改革
一 広東米流通と広州の食糧事情
華南沿海における広東米流通/広州の食糧事情
二 万暦二一年搶米と福建の遏糴解除策
三 天啓四年搶米と平糶改革
第二章 明末江南の搶米と救荒政策
一 崇禎年間の旱蝗害・大飢饉・米価動向
二 搶米
強搶と売り惜しみ問題/強借と貸借・債務慣行/
公定価格決定をめぐる崇禎一四年松江府華亭県搶米
三 応天巡撫黄希憲の救荒政策
崇禎一三年五~七月の初動策/崇禎一三年一〇月~一四年二月の賑米備蓄策/
崇禎一三年一二月~一四年八月の施粥策と平糶策
第三章 明末紹興における祁彪佳の救荒活動と『救荒全書』
一 祁彪佳の救荒関連著作
二 崇禎一三年の救荒活動
祁彪佳の救荒活動/崇禎一三年冬季の各坊積米策
三 崇禎一四年の搶米と祁彪佳の救荒活動
『辛巳歳救荒小議』の策定と搶米の発生/賑米採買と囤米出糶/
賑米分配――平糶・給米・施粥――
四『救荒全書』の編纂
第二部 清代開港前における搶糧搶米
第四章 清代搶糧搶米の年表と長期傾向分析
一 使用史料をめぐって――奏摺と新聞――
二 長期傾向分析
搶糧搶米発生の年代と地域/運動形態の推移/参加者と扇動者・罷市・殺人と放火
第五章 清代雍正・乾隆年間における搶糧搶米の行動論理
一 中国第一歴史档案館蔵内閣全宗刑科題本について
二 強借
乾隆八年湖南巴陵県傅老五強借案/乾隆一三年浙江楽清県強借案と貸借慣行
三 強搶
乾隆一二年江蘇泰州小海場強搶案/
乾隆一三年福建廈門強搶案と乾隆一二年福建福安県結盟強搶案
四 阻糧阻米
雍正四年福建福州城阻米案/乾隆六年広東広州城阻米案と嘉応州阻米案/
乾隆一二年盛京海城県牛荘城阻糧案
五 閙賑
清代の倉儲・救荒制度と閙賑/乾隆一七年湖南湘郷県閙賑案/
平糶価格と閙賑/乾隆一三年蘇州城顧堯年閙賑案と蘇州駐防八旗設置問題
六 帖子・呈子・斂銭・罷市
乾隆四年安徽蕪湖県閙賑案と帖子/乾隆一二年河南偃師県閙賑案に見える帖子の伝達/
乾隆六年広東潮陽県留穀平糶案と呈子/斂銭と罷市
第六章 清代嘉慶・道光年間の搶糧搶米
一 川湖陝における搶糧搶米
嘉慶白蓮教反乱と搶糧搶米/山区経済と嘉慶一八年陝西岐山県搶糧案
二 直隷の均糧
三 搶糧搶米と災頭・斂銭
江北の逃荒難民問題/道光一一年江蘇泰州災頭陸長樹逃荒案/
道光一一年江蘇塩城県災頭王玉淋逃荒案/
道光二二年浙江桐郷県呉庭発閙賑案における斂銭
第七章 清代搶糧搶米と刑罰
一 搶糧搶米重大案と律例
二 乾隆一三年定例の成立
三 枷責と杖斃
第三部 清代開港後における米穀流通・飢饉と搶糧搶米
第八章 清末における中国米密輸問題と搶糧搶米
一 清朝の米禁政策と通商条約における米穀輸出問題
二 光緒二四年広州・江蘇の搶米と米穀密輸出問題
三 上海における米穀流通と密輸出の構造
上海を中心とする米穀流通/光緒二〇年朝鮮賑済と仁川経由密輸出経路の形成/紅函問題と張之洞の改革
四 広東の米穀流通構造と華僑向け米穀輸出
広東の米穀流通構造/華僑向け米穀輸出と張之洞の解禁策
第九章 清末光緒三二年江北の大水害・飢饉と救荒活動
一 史料解題及び江北の自然環境と社会経済
『江北飢饉調査報告書』 について/江北の自然環境と社会経済
二 水害と飢饉
水害の発生と物価動向/飢饉と逃荒難民の発生/海州匪徒の搶米
三 救荒活動
截留留養と資遣回籍/官義並賑から官義合賑へ/救荒資金と義捐活動
第一〇章 清末宣統年間における搶糧搶米
一 宣統二年奉天安東県の阻糧と均糧
二 宣統二年江北機械制製粉工場襲撃事件と中国人資本家
襲撃事件/襲撃事件後の処理をめぐって
三 宣統三年杭州搶米と米商の対応
杭州の米穀事情と江蘇の遏糴/杭州搶米/搶米後における救荒政策と米商
四 宣統三年上海搶米と社団の救荒政策
浦東搶米と救荒政策の策定/宣統三年七~八月における救荒政策
終 章 比較史より見た明清搶糧搶米の特質
主要引用文献書目・あとがき・英文目次・索引
内容説明
【序章 明清搶糧搶米研究の課題と方法】より
本書は明清時代の中国における食糧騒擾を中心とし、関連する諸問題を考察するものである。日本語では、食糧をめぐる民衆の異議申し立ては、米騒動と称するのが最も一般的である。日本語の米騒動に対応する中国語は搶米(そうまい)となる。搶は「奪う・略奪する」という意味であり、搶米とは他人の米穀を承諾なしに自己のものにしようとする行為、及びそこから派生する騒擾・紛争である。広大な大地を擁する中国大陸は地理的には、秦嶺―淮河線を境界として北方と南方に区分される。秦嶺―淮河線は年間降水量一〇〇〇ミリメートルの境界でもある。畑作地帯の北方は麦粟等の雑糧を栽培し、主食は小麦の粉食である。一方、南方は稲作地帯で米の粒食と、食糧事情も大きく二分される。それゆえ、搶米で全中国の食糧騒擾を表記することは適切ではなく、本書においては、北方の麦作粉食(粟・トウモロコシ等の雑糧も含む)地域での騒擾を「搶糧」と、南方の米作粒食地帯での騒擾を「搶米」と表記し、食糧騒擾・食糧蜂起・食糧暴動を「搶糧搶米」と総称する。なお本書では、食糧の生産と流通の変動や食糧価格高騰等を原因とせず、騒擾を伴わない食糧窃盗行為は考察の対象から除外する。
本書は次のような視点で明清期の搶糧搶米を考察してゆく。第一に、搶糧搶米がどれほど発生していたのか、発生地域はどこか、どの時期に多発していたのかといった、搶糧搶米発生の長期傾向的考察である。抗租・抗糧・奴変・民変等の研究においても、発生件数や発生地域等に関しては、全容が解明されているとは言えない状況であり、長期傾向的考察は民衆運動史研究の重要な課題である。第二に、搶糧搶米の個別事例に関する運動論的考察である。これは、一九一〇年長沙搶米研究の一部に見られるような辛亥革命を終着点とする革命論的なものではなく、傅衣凌のように搶糧搶米を抗租に従属させるものでもない。搶糧搶米がいかにして始まり、どのような要求を掲げ、どのような人々が参加参与し、どのような人々が攻撃対象とされたのか等について事件に即して考察し、搶糧搶米の行動形態・行動論理の解明を目指す運動論的議論である。言い換えるなら、搶糧搶米の行動と民衆が行動の根拠としていた意識・規範を分析することである。第三には、自然災害・凶作・飢饉・米穀流通・米価変動等、搶糧搶米発生の原因となる諸要因を考察する。第四に、搶糧搶米に対し国家と社会がどのように対応したかという問題を、官方・民間による食糧の確保・調達、及び分配・米価調節等の諸策からなる救荒を通じて議論する。第五に国家の搶糧搶米に対する弾圧法規を考察する。官方に搶糧搶米の首謀者として拘束された人々に対し、いかなる刑罰が科せられたのか、また搶糧搶米の禁圧を目的として制定された刑罰の成立過程等を解明する。