目次
序 章(問題提起)
第一章 宋代水利政策の展開とその特徴――政治・財政面からの論争を通じて――
軍事目的の政策/慶暦の新政の頃/王安石新法の問題点
第二章 宋代運河政策の形成――淮南路を中心に――
漕運制度の概要〔国内統一と漕運制度の形成・漕運方法〕/淮南運河の概要とその整備
淮南地域の立地〔淮南塩・沿線都市の変遷〕
第三章 宋代治河政策の諸問題――治水論議の前提と背景――
宋代の河道変遷と治河政策〔北宋黄河下游の経路形成と河道変化・北宋時期の黄河治理(河防措置・
歴代治河方針の探索)〕/「回河の議」を巡る問題〔「北流と東流の争い」〕
第四章 南宋時代の水利政策――孝宗朝の諸課題と関連して――
漕運の再編と江東・江西〔南宋中期の時代背景〕
南渡前後の中江と江東圩田〔江東圩田の消長・水運との関係〕
孝宗朝の江東水利政策
〔江東での水利政策・張松像と洪遵像の持つ意味――乾道六年の地域社会――〕
第二部 地域社会と水利
第一章 明州における湖田問題――廃湖をめぐる対立と水利――
明州鄞県の水利開発
湖田化をめぐる問題点〔樓异による湖田化と高麗使節・湖田化の実施とその影響〕
湖田化をめぐる対立〔廃湖派とその背景・守湖派とその背景・郷党社会をめぐる対立(建炎の兵火
前後の事情・義田の設置をめぐって)〕
第二章 広徳湖・東銭湖水利と地域社会
湖田の経営と農業技術の発展〔湖田米の品種と米穀流通に関して〕
東銭湖水利と淤葑〔東銭湖の成立とその機能・東銭湖の推移、及びその淤葑化〕
おわりに――南宋後期、その後の対策――
第三章 浙東台州の水利開発――台州黄巖県の事例について――
黄巖県の開発と水利〔官河改修と諸閘設置の推移・水利施設の再編と、政治的・社会的問題〕
開発をめぐる問題と地域社会〔南宋中期の郷党社会と水利・南宋後期の郷党社会と義役田設置〕
おわりに――明清時代への展望――
第四章 浙東台州の都市水利――台州城の修築と治水対策――
台州の地理と水利の特性
州城の修築と治水対策〔北宋時代・南宋時代〕
都市の発展と水利〔人口増加と居住地域の拡大・州河・東湖等の整備・在地の立場と経費の負担〕
結 論 ――今後への展望――
参考文献一覧/あとがき/索引/英文目次
内容説明
【序章(問題提起)】より
宋代史の特徴は、君主独裁制の確立と、社会経済の発展、庶民文化の普及に見いだせるであろう。本研究は、宋代社会経済の発展を基礎から支えた水利の問題を、軍事・治水・農政・漕運といった全体の政策面と、湖
田問題・流域開発・州城の治水といった地域社会面との視点から、それぞれ考察することを、主たる目的とする。《要約》
宋代の水利政策は、多岐にわたっている。(一)宋初は軍事目的の塘泊や屯田の設置が中心であり、(二)江南が版図に入ると、この地の水利開発や、塩田等、瀕海の基盤整備が主要な課題となってくる。これらの
開発や整備は、承平の代で、人口増・経済の活況に因る所が大きいが、真宗朝の景徳元年(一〇〇四)の対遼「澶淵の盟」の結果、財政負担が急増した事に起因している。仁宗慶暦年間前半のいわゆる「慶暦の治」
は、言路を開き、欧陽脩・范仲淹らの若手・中堅官僚が政界に進出し、彼ら南人の意見が一定採用されると同時に、南方(江南・東南)の様々な基盤整備が始まった事を意味する。(三)軍事的な緊張に即応するため、
漕運により、国都にまた北辺に軍糧その他を輸送するシステムが整備された。一方で、軍糧・塩・茶等の様様な物資を流通する過程で、各地の中核都市が発達し、さらには市鎮網が急速に拡がっていった。(四)また、
宋代は、黄河が度々決壊・氾濫を繰り返し、その流路をめぐるいわゆる「回河論争」が展開した。新法・旧法対立時期には、災異説・天譴論がたたかわされた。(五)王安石による新法の実施は、水利政策にも大
きな影響を及ぼした。積極策としての水利開発だけでなく、黄河治水、汴河の多目的利用としての淤田法、漕運の改革とそれに従事する衙前や胥吏の改革、水利に関する資金源の再編成など、多岐にわたる。他方、
対するいわゆる旧法党の反対論は、単に祖宗の法を墨守するだけの守旧派、既得権益を甘受する封建勢力と位置づけるだけでは、当時の時代相を十分に反映できない。問題点・共通点・後世への影響を的確に捉えて
いく事が肝要である。その後、政争等、政治の乱れで北宋は弱体化し、滅亡するのだが、その政治は、水利政策の上にどのように反映されていったのかを検討していく事が必要となろう。《概観》