目次
凡 例
「竹橋蠧簡」 巻一~巻五
「竹橋余筆」 巻一~巻七
「竹橋余筆別集」 巻一~巻十二
内容説明
【解題】より(抜粋)
江戸城の北の丸地区、竹橋御門を入って右側、現在の国立近代美術館付近に、勘定所の倉庫数棟があり、古来の財政関係記録が多数収蔵されていた。当時、それは「御勘定所書物蔵」と呼ばれていた。それらの記録類は膨大な数量にのぼり、汗牛充棟の趣があった。「竹橋余筆」巻七に収める「諸帳面目録」によれば、享保ごろ、既に九万四千余冊の簿冊が架蔵されていた。元文、宝暦年間にその整理が行われたこともあるが、寛政年間には、さらにその数量が増加していたことであろう。寛政十二年、庚申のとし一月二十一日、大田南畝は「御勘定所諸帳面取調御用」の幕命を受けて、その整理に着手した。南畝はこのとき五十二歳であった。
十七歳の時から御徒を勤め、数年前から支配勘定に昇進していた。前年の寛政十一年には幕府の「孝義録」編集事業に参加し、その年末には、ほぼ脱稿していた。十二年二月から連日、十余名の同僚と共に、倉庫に入って古記録の整理に従事した。南畝はこの作業の暇をみて、有用の文書、記録類を選択、抄出し「竹橋蠧簡」、「竹橋余筆」、「竹橋余筆別集」と題する三部の史料集を編集した。ここに影印した三書が、すなわちそれである。書名の竹橋(ちっきょう)が、記録倉庫の所在地に因むことは申すまでもない。
「竹橋蠧簡」は五巻五冊、「竹橋余筆」は七巻七冊、共に零細な文書、記録の抄録集である。その内容年代は江戸初期のものが多く、中世文書も若干混入している。下限は宝暦年間、まれに寛政元年のものもある。
「竹橋余筆別集」十二巻十二冊には、享保以前のまとまった記録類四十余点を収める。記録の主題は多方面にわたっていて内容豊富であり、その史料価値は高く評価されている。大田南畝は、これらの抄録の余白や上層に、朱墨筆を以て、しばしば按語を加え、その記録の性質を考証し、人物の履歴を明かにしている。さらに、三書成立の後も、享和三年、文化元年、文化三年には、別に入手した異本と対校し、校異を記入している。これらの南畝の書き入れは、文字の大小や体裁等によって、一見して記録の原文と区別することができる。ここにとりまとめて影印した三書は、共に内閣文庫蔵本であって、寛政をあまり下らぬ頃の、ほぼ同時の写本である。いずれも南畝の筆蹟や書き入れの体裁をよく伝えた善本である。特に「竹橋余筆別集」はかなり忠実に南畝の筆致を残している。
【凡例】より
本書は国立公文書館内閣文庫所蔵の写本「竹橋蠧簡」、「竹橋余筆」、「竹橋余筆別集」の三部を合わせて縮写、影印したものである。底本の錯簡は順序を訂正して影印した。本文中の文字のかすれ等にはいっさい加筆しなかった。検索の便宜上、新しく所収史料の総目次を加えた。その形式は底本の各巻首に掲げられている目録に基づき、内容年代等を若干これに付記した。