目次
一 賈宝玉の人物像
(一)『紅楼夢』における賈宝玉の重要性
(二)不可思議な人物像――賈宝玉は一体何者なのか
(1)貶める言葉――揶揄、非難、嘲笑など(2)褒める言葉――賞賛、賛美など
二 性同一性障碍(Gender Identity Disorder,GID)について
(一)性同一性障碍(GID)とは何か (二)性同一性障碍(GID)に関する診断基準
三 「身体の性は男子だが、心の性は女子である」――賈宝玉が本来もっている性同一性障碍者的特徴
四 GID診断基準「反対の性に対する強く持続的な同一感」に該当する事例
(一)女子の住むような住居や部屋で暮らす宝玉
(二)女性の持ち物を好む宝玉 (1)女性の化粧品を愛好する(2)女性の化粧を手伝う
(三)女装愛好と男装の女子を好む宝玉
(1)宝玉の女装愛好(服装 髪型 履物)(2)男装の女子を好む
(四)赤い色を好む宝玉 (五)涙をよく流す宝玉 (六)女性に対してやさしい心遣いをする宝玉
(七)女性的な所作や振る舞いをする宝玉
(八)女性との同化を強く願う宝玉
(1)女性の匂いを嗅ぐ(2)女子の洗面後の残り湯で顔を洗う
(3)女性的な行為をしたり、まねたりする(4)女性と同じものを所有しようとする
五 GID診断基準「反対の性の遊び仲間になるのを強く好む」に該当する事例
(一)女の子と楽しく遊ぶことを切望する宝玉 (二)女の子たちから仲間はずれにされるのを恐れる宝玉
六 GID診断基準「自分の性に対する持続的な不快感」に該当する事例
(一)極端な男性蔑視・男性嫌悪、自己卑下・自己否定をする宝玉
(二)女子に対して極端な崇拝と賛美をする宝玉 (補記)宝玉の女性崇拝の本質
(三)賈宝玉の特異な恋愛生活
(1)性的欲動リビドーのおきない宝玉・(付記)性同一性障碍者(MtF)の性生活
(2)宝玉の女子に対する接し方――「痴情」「意淫」「体貼」・(付記)あり得ない宝玉の曖昧な関係
(3)賈家の男性の乱に対する宝玉の態度
七 GID診断基準「自分の身体的性のもつ性役割についての不適切感」に該当する事例
(一)男性としての社会的性役割に対する嫌悪や反撥を示す宝玉
(1)国を治め世を救う学問を嫌う(2)儒学的な道徳礼法を嫌う
(3)高位高官や士大夫を批判する(4)達官貴人との交際を嫌う
(二)男性的生活の場において極端な不適応を示す宝玉
(1)立身出世意識や向上心、功名心がない(2)周囲の期待に応えようとしない・(補記)賈政と宝玉
(3)家の盛衰や家人の栄辱に関心がない(4)男性よりも、女性に認められたい
八 性同一性障碍と関連づけて解釈できるその他の事柄
(一)賈宝玉はなぜ薛宝釵ではなく、林黛玉を愛するのか
(1)林玉・薛宝釵はどんな女性か(2)賈宝玉の恋愛の特徴――友情愛から恋愛へ
(3)宝玉の恋情が玉に向かう主な理由・(補記)宝玉の恋愛の特徴――汎愛か専愛か
(二) 賈宝玉の同性愛的性指向
(1)同性愛と性同一性障碍との概念の相違(2)賈宝玉における同性愛を示す事例
(3)賈宝玉は性同一性障碍者であって、いわゆる同性愛者ではない
(三)賈宝玉に見られる神経症的症状 (四)賈宝玉はなぜ仏教・道教思想に傾斜するのか
(五)『紅楼夢』の簿冊と情榜について
(1)太虚幻境の薄命司の簿冊(2)末回に置かれる予定だった警幻情榜
(六)「名」をもたず、「乳名」で一生を通す宝玉 (七)賈宝玉と甄宝玉の人物像の変化の意味
(八)前八十回と後四十回における賈宝玉像の異同について(1)出家逃亡について(2)郷試受験について
九 賈宝玉のモデルは誰か
(1)賈宝玉のような特異な人物を造型し得た理由(2)なぜ創作意欲を持続させることができたのか
(3)主人公に対するシニカルな描写の意味(4)脂硯斎の評語に見る賈宝玉と作者の関係
(付記1)曹雪芹の風貌と性同一性障碍との関係について/(付記2)曹雪芹に子供がいることの可能性に
ついて/(付記3)曹雪芹の飲酒癖と性同一性障碍との関係について
十 『紅楼夢』はいかなる小説なのか
(一)『紅楼夢』の中心舞台である大観園の性格
(1)貴妃省親や大観園の築造の非現実性(2)大観園における男女交際の非現実性
(二)性同一性障碍者の理想郷としての大観園世界
(1)大観園世界の性格(2)『紅楼夢』の構成に見る女子中心の世界
(付記)余英時氏の理想世界論と自説との相違点
(三)『紅楼夢』――性同一性障碍者のユートピア小説
(1)乱立する『紅楼夢』説(2)性同一性障碍者のユートピア小説としての『紅楼夢』
(附論)「選秀女」と明清の戯曲小説 まえがき
一 明代における「選秀女」の実態/二 清代における「選秀女」の実態/三 明清時代の戯曲・小説に用
いられた「選秀女」/四 清朝の後宮制度と『紅楼夢』――元春貴妃の省親や大観園の築造はあり得たか
あとがき
内容説明
【本書】より(抜粋)
今回の私の説は、従来の『紅楼夢』説とは異なり、『紅楼夢』の主要部に的を絞って、『紅楼夢』がいかなる小説であるかを考察したものである。…これまで『紅楼夢』がいかなる小説か、肝腎のところを掴むことができなかったのは、『紅楼夢』の中心人物の賈宝玉が何者なのかを解明できなかったことが、最大の理由であると思われるからである。…賈宝玉という肝腎の人物の解明なしには『紅楼夢』の本質を掴むことはできないのである。以上のような立場で、わたしは『紅楼夢』世界の全体像を改めて検討し、その結果、すでに縷々述べたように、『紅楼夢』は一風変わった普通の若者を描いた小説ではなく、男性社会(家庭外の現実社会)で生きてゆくことのできない性同一性障碍者(MtF)の貴族の若者が、この世界において生を送るうえに最も望ましき世界を夢想したユートピア小説であるという結論に達した。『紅楼夢』はおそらく今日のいわゆる性同一性障碍者であったと思われる作者が、そのような窮愁落魄の苦しい気持ちを振り払うために、少年時代に体験した幾ばくかの楽しい思い出を膨らませて、仙女の化身の絶世の佳人たちの住む艶麗優美なユートピアを夢想し、その中に自分の影子である賈宝玉を住まわせ、日々楽しく遊び戯れさせることによって、現実の苦悩や悲嘆から脱却するよすがとした作品であろう。したがって、これをつづめて言えば、本書の副題のごとく、『紅楼夢』は、「性同一性障碍者のユートピア小説」ということになるのである。