目次
序 章
第一章 革命的三民主義と革命的国民党
第二章 抗日戦争初期における施復亮―「持久的全面的抗戦」
一九三〇年代前半の施復亮/施復亮の抗戦論―「民主的抗戦」と「持久的全面的抗戦」/「政府が主体の抗戦論」に対する批判―章乃器の理論への批判/統一戦線に関連して/抗日戦争初期の施復亮の思想
第三章 抗日戦争後期の施復亮
一九四一~一九四二年の施復亮/『四川経済季刊』における施復亮/四四年以後の論調の変化/抗日戦争勝利後における施復亮の思想
第四章 戦後の政治情勢と施復亮
民主建国会と施復亮/施復亮のイデオロギー活動/施復亮の思想的転換
終 章
資料編
資料Ⅰ「悲痛な中での自白」(『中央日報』副刊)
資料Ⅱ「一つの誠実な声明」(『民主抗戦論』所収)
資料Ⅲ「当面の経済危機について」(『四川経済季刊』)
資料Ⅳ「中間派論」(『国訊』第四〇五期)
資料Ⅴ「中間派とは何か?」(『文匯報』)
あとがき/索引(人名・事項)
内容説明
【序章より】
中国では一九九〇年代末から、施復亮が注目されるようになってきている。施復亮がこのように注目されるようになった要因は、『施復亮政治思想研究』の著者の「結語」によれば、「中国近現代史上の改良思想と改良運動もまた中国現代化の歴史の構成部分で」あり、「平和建設の時代には参考にする価値がある」という観点によるものと言える。…わが国においては、これより以前から施復亮研究が進められ、なかでも石川禎浩氏の研究は施復亮の初期における全面的な研究であり、施復亮の人物の性格をも含めた詳細にわたるもので、最も優れた論考であると言える。その研究は主として施復亮と中国共産党との関係に重点がおかれ、施復亮の中国共産党からの離党までが対象とされ、それ以後の彼の活動については対象とされてはいない。
また二〇〇七年に入ってから、必ずしも専著とは言えないが、水羽信男氏の施復亮の解放以前の全時期をあつかった著書が出版された。それは氏が長年にわたって追究してきた施復亮関係の論文を基礎においたものであるが、そこでは、水羽氏は施復亮を「個の尊厳に基礎を置く」リベラリストと捉え、彼の追求した「中間路線」は一九四九年に中共が実現した中国革命とは異なった革命の方策を追究したものと高く評価して、施復亮の思想の一貫性を論考の中心にすえている。筆者もかつて一九七九年と一九八三年に施復亮についての論文を書いたことがあるが、それらは主として抗日戦争後の時期における彼の中間路線論者としての側面を明らかにしたもので、施復亮の思想の全過程を全面的に明らかにしたものではなかった。しかし最近の中国と日本における施復亮研究の進展と資料の発掘によって、施復亮の思想を全面的に明らかにすることが可能となった。それらを足がかりにして、施復亮の一九二〇年代から四〇年代における思想とその変化を明らかにしようと思う。ここで特徴的なことは、解放前の施復亮の政治思想を見ると、彼の一九二〇年代の政治思想と一九四〇年代のそれとの間には大きな違いがあることに気づかされる。それはほとんど異質な思想と言ってもよいように思われる。ここではその違いについて見てみようと思う。