目次
Ⅰ 文学・文化の交流
安井息軒による明治初期の日中学術交流
――「応宝時「『左伝輯釈』序」跋」と「書「『論語集説』沈序」後」―― ……… 青山 大介
兪樾の『東瀛詩選』は代編作か …………………………………………………………… 王 宝 平
聶景孺『桜花館日本詩話』考論 …………………………………………………………… 蔡 毅
末松謙澄と明治期の詩歌改良運動
――英詩漢訳及び「歌楽論」『国歌新論』を通して―― …………………………… 胡 加 貝
須永元と亡命朝鮮人の漢詩文交流 ………………………………………………………… 茂木 克美
明治期東本願寺の中国における出版活動について ……………………………………… 川邉 雄大
「日支交通会」およびその機関誌についての考察 ……………………………………… 王 弘
黒木欽堂と長尾雨山 ………………………………………………………………………… 田山 泰三
南拝山と東洋医道会――台湾における漢方存続運動への影響―― …………………… 山形 悠
Ⅱ 思想の変容と漢学
『本朝通鑑』及び『大日本史』歴史観の変遷 …………………………………………… 徐 興 慶
「漢学」を参照系とした日本自然誌の成立
――『多識編』から『大和本草』、そして『遠西独度涅烏斯草木譜』へ―― …… 謝 蘇 杭
日本に再上陸したキリスト教の特徴 ……………………………………………………… 中村 聡
松陰の下田獄中「投夷書」とペリー旗艦乗船記録の発見
――「面縛」を拿捕と誤訳された世紀のミスを正せた決め手―― ………………… 陶 徳 民
川田甕江の漢学有用論
――玉島図書館甕江文庫所蔵の講演原稿類に着目して―― ………………………… 武田 祐樹
渋沢栄一の論語解釈をめぐって
――実業家安川敬一郎との関係を中心として―― …………………………………… 町 泉寿郎
「書物道楽家」を自称する徳富蘇峰と朝鮮本 …………………………………………… 朴 暎 美
西田幾多郎における「東洋」の理解 ……………………………………………………… 呉 光 輝
執筆者紹介
内容説明
【「まえがき」より】(抜粋)
「日本漢学研究叢刊」の第四冊として、本書は十九世紀末から二十世紀初頭の転換期に東アジア諸地域においてみられた様々な文化的交流について、「漢学」に焦点を当てながら展望しようという意図のもとに編纂された。……ここで十九世紀末から二十世紀初頭という時間軸と東アジアという地域に着目する理由は、「漢学」が「洋学」に地歩を譲った時代、洋学導入による近代化を推進した過程で漢学がどのように作用したかという問題を、地域ごと領域ごとの共通項や特異性とともに考えたいと願うからである。……かつての厳しい状況下において学者・芸術家・科学者・政治家・実業家らがどのように交流したのかを拾い出すことに意味を見出したい。戦火に多くの人々が苦しむいま、正義を掲げて一方を断罪するのではなく、何とか共存する道を模索することが切実さを増しているように思う。東アジア諸地域における共通項と特異性を知ることは、我々が共存するための具体的な行動である。「漢学」をそのようなよりよい未来のための糧であらしめるように知恵を絞らなければいけない地点に我々は立たされている。
本書は、二〇二三年十月二十八日に、「転換期における東アジア文化交流と漢学」というテーマを掲げて二松学舎大学日本漢学研究センターが主催したシンポジウムが起点となっている。……編輯にあたっては、第一部を「文学・文化の交流」、第二部を「思想の変容と漢学」として、各部の配列はほぼ時代順によった。
十七本の論文は、伝統的な文人交流、漢詩・漢学・科学・宗教の分野における東西文化接触、日韓間・日台間の交流、実業家や仏教宗派の文化活動などさまざまな内容にわたり、相互にいくつかは関係がある内容もあり、また比較的独立した内容もある。各地に残された一次資料による立論や資料紹介も散見され、資料の豊富な時代ならではの内容になっている。論文集全体として見る時、一つのテーマを深めた論集ではないから総花的でもあるが、各研究者がそれぞれに追求してきたテーマが概観できる点で、当該期の日本漢学をとりまく状況を瞥見するに便利な内容になっていると信ずるものである。