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日本古代国家の喪礼受容と王権  新刊

日本古代国家の喪礼受容と王権

◎礼制由来の臣下服喪儀礼や挙哀儀、儒教受容を考察し、日本古代王権の特質と礼認識を探る!

著者 山下 洋平
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 魏晋隋唐
日本史
日本史 > 古代
出版年月日 2024/02/26
ISBN 9784762942426
判型・ページ数 A5・320ページ
定価 9,350円(本体8,500円+税)
在庫 在庫あり
 

目次




第一部 日本古代における喪礼受容

 第一章 平安時代における臣下服喪儀礼
  第一節 唐代百官服喪と光仁崩御時における従服規定の受容
  第二節 九・十世紀天皇崩御時における臣下服喪
  第三節 九世紀―摂関期太上天皇崩御時における臣下服喪
  第四節 院政期における臣下服喪儀礼の動向

 第二章 律令国家における臣下服喪儀礼の特質――唐制との比較を通して――
  第一節 唐代における臣下服喪儀礼
    第一項 唐代皇帝崩御時の服喪状況
    第二項 唐代臣下服喪儀礼にみえる臣下観
  第二節 日本の八世紀における臣下服喪儀礼
    第一項 八世紀における臣下服喪儀礼の服喪主体について
    第二項 八世紀臣下服喪儀礼の背景
    第三項 九世紀における臣下服喪儀礼の服喪主体について

 第三章 后・皇太子のための臣下服喪儀礼からみた日本古代王権の特質
                  ――唐代の事例を参考として――
  第一節 唐代における后崩御および皇太子薨去時の臣下服喪儀礼
    第一項 后崩御時における臣下服喪儀礼
    第二項 皇太子薨去時における臣下服喪儀礼
  第二節 古代日本における后崩御および皇太子薨去時の臣下服喪儀礼
    第一項 八世紀における后崩御、皇太子薨去時の臣下服喪儀礼
    第二項 九世紀―摂関期における后崩御時の臣下服喪儀礼
    第三項 皇太子薨去時の臣下服喪儀礼
               ――保明親王および慶頼王の事例を中心に――
  第三節 后・皇太子のための服喪儀礼からみた日本古代王権の特質

 第四章 北魏文明太后崩御時における孝文帝の服喪儀礼
  第一節 文明太后服喪講と孝文帝の提案
  第二節 孝文帝に従服する臣下について
  第三節 文明太后服喪儀礼の実施状況について

 第五章 日中の臣下服喪・挙哀儀からみた唐令官僚機構の一側面
  第一節 中国における喪礼状況
    第一項 西晋の文帝・文明王皇太后・武元楊皇后・愍懐太子の喪礼
      一 服喪主体「群臣」「内外官僚」について
      二 喪礼時の内廷官人と外廷官人の動向
    第二項 北魏・宣武帝喪礼時の侍臣動向
    第三項 唐・代宗喪礼時の服喪区分
  第二節 日本における喪礼状況
    第一項 元明太上天皇の喪礼
    第二項 聖武太上天皇の服喪
    第三項 九世紀の臣下服喪・挙哀状況

 第六章 日本古代の殯儀礼と中国的喪礼
  第一節 天武天皇殯儀礼の発哀・誄について
  第二節 八世紀の挙哀について
  第三節 九世紀の挙哀の性質
  第四節 臣下服喪儀礼の性質と挙哀の衰退について


第二部 日本古代における中国思想の受容

 第一章 七世紀の日本における中国思想の受容と『管子』
            ――憲法十七条・時令思想・鍾匱の制を中心に――
  第一節 憲法十七条にみえる中国思想受容の特徴
    第一項 憲法十七条の制作について
    第二項 憲法十七条の思想的背景の再検討
      一 各条文にみえる『管子』の影響
      二 憲法立条過程にみえる『管子』の影響
  第二節 七世紀中葉から後半における中国思想の受容
    第一項 皇極紀の時令記事について
    第二項 鍾匱の制について
  第三節 七世紀における中国思想受容の背景

 第二章 律令国家における儒教政策の変遷――礼の実践と倫理の学修――
  第一節 七世紀後半から八世紀における礼制の整備
  第二節 八世紀における儒教倫理の普及政策
  第三節 国学の発展と背景について
  第四節 桓武朝の儒教政策にみえる仲麻呂期の影響

結 論


初出一覧
あとがき
索 引
 Ⅰ 事項
 Ⅱ 人名
 Ⅲ 史料名
 Ⅳ 引用著者名

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内容説明

【「序」及び本書より】(抜粋)
 本書は、日本の古代、具体的には朝廷が天皇を中心とする中央集権国家の形成を目指し始めた七世紀から、王権や支配の在り方が摂関家・上皇をはじめとするミウチ的権力との関わりのなか複雑多様化した十一・十二世紀までを対象時期とするものであり、各時期の朝廷権力の中で、中国の古代社会に淵源を持ち、直接的には隋・唐に倣うところが大きかった儒教、とりわけ、その中核をなす礼(君臣関係、身分の上下、長幼の序、男女の別等、様々な秩序を維持するための儀礼や行動規範)がいかなる意義を持っていたかを解明しようとするものである。
 第一部では、日本古代の君主(天皇・太上天皇)・后・皇太子の喪礼において実施された臣下服喪儀礼や挙哀儀を、唐代はじめ中国諸王朝の事例と比較しつつ考察し、日本古代の王権の特質や礼認識を明らかにしていく。
 第二部では、礼、あるいはそれを中核とする儒家思想(儒教)が、日本の古代国家において、いつから、また、どのような過程で重要な役割を期待されるようになったのかという問題を再検討するために、七世紀初頭から八世紀までを主な対象時期として、儒教をはじめ、その他、中国思想にも注目して、それらの影響が窺える政策や言説等を考察していくことにしたい。

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