目次
第一章 一八八〇年代初頭の「興亜論」について
――近代東アジアの人的ネットワークの現実的基盤 (月脚達彦)
第二章 朝鮮知識人たちと興亜会 (北原スマ子)
第三章 ロシアの東アジアへのアプローチ――日清戦争から日露戦争へ (野田 仁)
第四章 初期の駐日清国公使館と朝鮮人
――清・朝鮮関係におけるもうひとつのネットワーク (崔 蘭英)
第五章 孫点の日本公使館時代 (平石淑子)
第六章 戦間期における米国中心のトランスナショナル・ネットワークと東アジア知識人
――YMCAとIPWからIPRへ―― (高光佳絵)
あとがき
執筆者紹介
索 引
外国語目次
内容説明
【序に代えて より】
一九世紀東アジアでは西洋の出現により、従来の政治的、社会的、文化的枠組みが激しく揺さぶられた。この揺さぶりは各国内部の体制に留まらず、東アジア地域全体の歴史的枠組みそのものにも及び、東アジア各国にとって、自身のこれまでの営みを守り、自立して継承していくための対抗策を考えることが喫緊の、そして共通の課題となった。幸い、東アジアには漢字を媒介とする共通の文化圏が存在していた。この歴史的転換期において、東アジア三国(日本・清・朝鮮)の知識人たちが、漢字という共通のコミュニケーション手段、及び漢籍に基づく共通の教養をよりどころに交流したことはよく知られている。本書はこのような事実を踏まえ、当時東アジア三国の知識人たちの交流により構築された、あるいは構築されようとした人的ネットワークが、当時、及び以後の世界情勢に如何なる影響を及ぼしたか、ということに関心を持った研究者六名による、専攻分野を超えた共同研究の成果である。(中略)
次に本書の後世について述べる。まず「興亜論」を中心に東アジア知識人の連帯の基盤とそこに生じた不協和音を俯瞰(月脚論文)した上で、「興亜論」を主唱する興亜会と朝鮮の知識人の関わりに焦点を絞って考察した(北原論文)。そして当時日・清・朝にとって共通の脅威であったロシアに視野を広げ、ロシアが東アジア三国の連帯および知識人のネットワークをどう捉えていたのかを検証した(野田論文)。次に当時の清国公使館を中心に形成された東アジア知識人の交流の有様とネットワークの実態を具体的に検証し(崔、平石論文)、その後の植民地主義、帝国主義的侵略を視野に入れた上で、二〇世紀に入り、変化する国際情勢の中で東アジア知識人たちの間にかつて構築されたネットワークがどのように変化していったかを論じ(高光論文)、現代に続く問題提起とした。
Intellectuals in East Asia During the Modern Period: a history of solidarity and non-solidarity