目次
1.日本においてアヘン戦争はどのように語られてきたか
――銀の流出とアヘン貿易停止――
2.日本においてアヘン戦争はどのように語られてきたか
――1830年代のアヘン論争――
3.欧米の諸研究はイギリス艦隊の中国派遣を
どのように語っているか
4.誓約書「人即正法、貨盡入官」をめぐる中英対立
Ⅰ章 アヘンと中国
1.奇妙な「アヘン吸煙図」
2.ケシ栽培とアヘン生産
3.アヘン輸入の始まり
4.アヘンの消費革命その一 ――下痢止めから媚薬への飛躍――
5.アヘンの消費革命その二 ――「鴉片煙」の吸煙――
6.アヘンの消費革命その三 ――「鴉片煙」から「煙膏」への転換
7.アヘン戦争前夜のアヘン吸煙
Ⅱ章 弛禁論の登場とその退場
1.ネピア事件と対外宥和政策
2.広州の弛禁論
3.太常寺卿少卿許乃済「弛禁上奏」
4.鴻臚寺卿黄爵滋「敬陳六事疏」
5.許球上奏
6.広東当局への集中砲火
Ⅲ章 黄爵滋と阮元
1.「許球上奏」の執筆者は黄爵滋か?
2.黎攀鏐上奏も黄爵滋が関与しているのか?
3.黄爵滋による阮元攻撃
4.阮元の外国及び外国人に対する認識
5.阮元と行商
6.阮元とアヘン
Ⅳ章 「新例」の制定過程
1.鴻臚寺卿黄爵滋「厳塞漏卮以培国本疏」(道光十八年閏四月十日・1838/6/2)
2.将軍・督撫からの意見
3.阮元の大学士辞任
4.「イギリスではアヘン吸煙は死刑」説をめぐって
5.「新例」と庶民
Ⅴ章 黄爵滋と彼のネットワーク
1.黄爵滋と潘世恩
2.黄爵滋と知識人たち
3.張際亮について
4.張際亮の広東遊歴
5.大水害とアヘン戦争
終 章
注
参考資料1・2
参考文献
あとがき
索 引
英文目次
内容説明
本書は、2014年に汲古書院より出版した前著『アヘン戦争の起源―黄爵滋と彼のネットワーク―』の補足に相当する内容である。前著において、私は黄爵滋が開催した集会の参加者を特定することにエネルギーの大部分を使い果たし、アヘン戦争につながる対外政策の転換に黄爵滋がいかに関与したかという肝腎のテーマについて、十分に考察することができなかった。やり残したことがある、という思いをずっと抱いてきた。
黄爵滋は、1835年以来、アヘン密輸入に関与する外国人に死刑を適用する法例の制定を画策していた。まず、アヘン販売とアヘン吸煙とは死刑という「新例」を制定し、それを『大清律例』「化外人有犯」の條に依拠して外国人に適用する、というアイディアである。林則徐は「新例」に則り、外国人商人に、以後アヘンを持ち込んだ場合には死刑に処せられることに同意する、という誓約書の提出を求めた。イギリス貿易監督官エリオットは、誓約書の文言「人即正法」に強く反発し、本国に艦隊派遣を要請した。「新例」の制定がイギリス艦隊の中国派遣につながった、と私は理解している(序章参照)。
「新例」の制定は、時の大学士阮元の抵抗を排除して実現した。本書ではこの過程をⅡ章、Ⅲ章、IV章で論じた。阮元はアヘン販売とアヘン吸煙とは死刑という「新例」は、当時の中国社会のアヘン需要(I章参照)を無視した非現実的なものであり、混乱と悲劇を招く、と考えていたようである。黄爵滋の弟子でさえも、「新例」は非現実的であり実行不可能である、と異論を述べていた。なぜ、黄爵滋は多くの年月と膨大なエネルギーを費やして、非現実的な「新例」を制定に持ち込んだのだろうか?
On the Eve of the Opium War