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日本漢文学の江戸後期  新刊

――知識人の自己表現――

日本漢文学の江戸後期

◎拙堂、山陽、春水、杏坪――四名の儒者の矜持の源を探る!

著者 直井 文子
ジャンル 日本古典(文学)
日本古典(文学) > 近世文学
日本漢学
出版年月日 2023/04/28
ISBN 9784762936746
判型・ページ数 A5・386ページ
定価 9,900円(本体9,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序論 江戸後期の日本漢詩文
 一 「日本漢文学」研究について    
 二 江戸後期の日本漢詩文壇 
 三 主題の人物 其の一 齋藤拙堂    
 四 主題の人物 其の二 賴山陽 
 五 主題の人物 其の三 賴春水と賴杏坪
 

第一編 齋藤拙堂の詩文

 第一章 齋藤拙堂と韓愈――『拙堂文話』をめぐって――
  一 『拙堂文話』とは    
  二 拙堂の文中の韓愈への言及  
  三 拙堂の「意」と「気」
  四 韓愈の人格への敬意   
  五 『文話』での韓愈推重の意義

 第二章 齋藤拙堂の詩と紀行詩文
  一 詩人としての拙堂    
  二 拙堂の詩の原稿       
  三 拙堂の詩文論と実作
  四 拙堂の紀行文      
  五 拙堂における「遊記」    
  六 拙堂の旅行記
  七 拙堂の紀行漢詩文の意義

 第三章 『拙堂文話』正編の版本について
  一 『文話』異本の存在   
  二 諸本            
  三 消えた部分 
  四 加筆された部分     
  五 拙堂自序の変化

 第四章 『海外異傳』について
  一 『海外異傳』とは    
  二 伊東祐相の題詞       
  三 山田長正傳
  四 濱田彌兵衞傳      
  五 鄭成功傳          
  六 『海外異傳』への批判
  七 小林道隆の『匡謬』   
  八 谷三山の『商榷』      
  九 拙堂の自序と「小説」
  十 拙堂の跋        
  十一 「小説」としての『海外異傳』
 
 第五章 齋藤拙堂の「狂」
  一 拙堂の漢詩の中での「狂」       
  二 好ましからざるもの
  三 好ましきもの 其の一         
  四 好ましきもの 其の二
  五 好ましきもの 其の三         
  六 拙堂の「狂」

第一編 結び――儒者としての齋藤拙堂――


第二編 賴山陽の詩文

 第一章 賴山陽の「十二媛絶句」
  一 「十二媛絶句」とは          
  二 「十二媛絶句」の諸本
  三 各詩と『野史詠』、『日本樂府』     
  四 十二人の選択と配列との意味
  五 山陽の理想の女性像と女性観

 第二章 賴山陽の詩社と中国の漁の詩
  一 山陽の主催した詩社   
  二 真社について     
  三 魚を捕る詩 
  四 杜甫の魚の詩      
  五 何景明の魚の歌     
  六 山陽の詩風と生き方の方向性

 第三章 墓銘を書く山陽と拙堂
  一 忘年の「朋友」            
  二 山陽先生曰はく「豈に能く之を致さんや」と 
  三 拙堂先生曰はく「選びて其の材を取らん」と      
  四 共通項は袁枚か?
  五 山陽と拙堂

 第四章 賴山陽の「狂」
  一 「狂」弱を兼ね備えて  
  二 心はいつも     
  三 変化するもの
  四 変わらぬもの      
  五 陸游・李白・張旭    
  六 また自己を言う
  七 詩壇の「狂」と山陽の「狂」

第二編 結び――多才な歴史家の山陽――


第三編 賴春水と賴杏坪の詩文

 第一章 賴春水の詩について
  一 「春水詩稿」の存在   
  二 大坂時代の詩      
  三 藩儒登用
  四 晩年の詩        
  五 春水の詩作

 第二章 賴杏坪の詩について
  一 杏坪の詩のテキスト   
  二 「老」字の頻用     
  三 「政事」に携わって
  四 本当のつぶやき     
  五 引退して        
  六 杏坪の詩

 第三章 賴杏坪の『十旬花月帖』と漢詩と和歌とについて
  一 『十旬花月帖』とは          
  二 特徴[一]漢詩と和歌との同工異曲
  三 特徴[二]漢詩と和歌との応酬     
  四 特徴[三] 和歌のみで詠んだもの
  五 特徴[四]漢詩の連作と和歌の連作との同時進行
  六 特徴[五]和歌連作と漢詩連作の区別
  七 特徴[六]和漢一対          
  八 杏坪の漢詩と和歌

第三編 結び――賴春水と賴杏坪の「狂」――


結語――拙堂、山陽、春水、杏坪の軌跡――

主要参考文献
齋藤拙堂・賴山陽・賴春水・賴杏坪略年譜
論文等初出一覧
あとがき
人名索引

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内容説明

【序論より】(抜粋)
 「日本漢文学」は、私達日本人が、どのように中国の文化を採り入れ、それをどのように独自の文化に発展させてきたか、という命題を含んでいる。本研究は、そうした命題を念頭に置き、各時代の中から江戸時代後期を取り上げ、日本人の手により、中国文学の形式を取って作られた日本漢詩文作品の内容と、そこに込められた作者の意識とを検討し、その作品の意義を考察するものである。
 本書で取り上げる四名は、活躍した時期も場所も立場も異なっている。齋藤拙堂は、地方藩の江戸屋敷で、あまり地位の高くない武士の家に生まれ、努力して藩儒の地位を得た。賴山陽は広島藩儒の跡継ぎとして約束された身分を捨て、京という都会の市井で自由に後半生を生きることを選んだ。山陽の父親である賴春水は、竹原の紺屋兼医者の家に生まれたが、父の期待を背負って大坂へ遊学し、広島藩儒となった。その末弟である賴杏坪は、長兄春水に次いで広島藩儒となったが、学問所以上に藩の実政に力を注ぎ、その働きが認められて、七十五歳で致仕を許されるまで藩の業務に尽くした。彼らがその地位に就くまでの経緯や、漢詩文の創作に励む時期や姿勢は、各各異なっている。
 四名は、文人趣味に生きたように見える部分がありながら、文人視されることを好まなかった点は共通しているが、それぞれ文人趣味にいそしむ度合いが異なる、と私は考える。その彼らが、漢詩文という手段を用いてどのように思索し、どのように自己を表現していたのか、各人について論を重ね、更にその繫がりを考えてゆくこととする。

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