目次
一 「洋務・変法・革命」の語り
二 西洋文明との対峙
三 シンクレティズム
四 西洋文明の優位性と明治日本の「東学」
五 言語横断的実践
六 グローバル・ヒストリー――「空間」論的転回
七 「思想連鎖」をめぐる対話
八 清末中国の「思想空間」
九 本書の構成
第一部 東西文明への視角
第一章 「中体西用」論と「学戦」――張之洞『勧学篇』の周辺
一 「中体西用」論者としての張之洞像
二 「中学為体、西学為用」のスローガンの流行
三 「学戦」の時代――教育救国論の成立と盛行
四 厳復「中体西用」論批判の歴史的背景
第二章 辜鴻銘と「道徳」の課題――東西文明を俯瞰する視座
一 多様な辜鴻銘像
二 極東問題と「道徳」
三 中国古典の英訳
四 『中国牛津運動故事』――張之洞の幕僚として
五 「道徳」の内実
六 日本訪問
第三章 近代中国における「文明」――明治日本の学術との関連で
一 civilizationと「教化」
二 明治日本の「文明」論
三 華夷の弁別
四 「文明」と「公理」
五 学術思想のなかの文明
六 「文明」への批判
七 世界五大文明
八 文明の起源
第一部のまとめ
第二部 東西の学知の連鎖
第四章 清末中国におけるルソー『社会契約論』
一 ルソー『社会契約論』と中江兆民
二 『社会契約論』の翻訳史――馬君武訳『民約論』ほか
三 ルソーと西洋思想家群
四 ルソー『民約論』解読
第五章 梁啓超の政治学――明治日本の国家学とブルンチュリを中心に
一 『清議報』の伯倫知理「国家論」(一八九九年)
二 『訳書彙編』によるブルンチュリの紹介(一九〇〇年)
三 在野知識人のブルンチュリ理解
四 梁啓超における政治学の系譜
五 『新民叢報』の「政治学大家伯倫知理之学説」(一九〇三年)
六 梁啓超の「開明専制論」(一九〇六年)
第六章 梁啓超と徳富蘇峰
――馮自由「日人徳富蘇峰与梁啓超」と梁啓超の「盗用」をめぐって
一 梁啓超の「盗用」
二 多作な徳富蘇峰
三 『大陸報』による「盗作」批判
四 『革命逸史』と馮自由
五 徳富蘇峰か福澤諭吉か
第七章 近代中国における「哲学」――蔡元培の「哲学」を中心に
一 康有為『日本書目志』
二 蔡元培の「東学」
三 一九〇三年の「哲学」熱
四 中国哲学史の叙述
五 五十年来中国之哲学
第二部のまとめ
第三部 自由への懐疑と模索
第八章 清末の「自由」
一 なぜ「近代」中国の「自由」か
二 幕末・明治日本における「自由」
三 初期の英華字典における訳語
四 福澤諭吉の「自由」と「自由」の論じられ方
五 「自由」と「自主」
六 厳復による「自由」の訳語の確定
七 「里勃而特」(liberty)をめぐる論争
八 梁啓超と「自由」
九 在日留学生の雑誌による日本の「自由」学説の紹介
十 『群己権界論』翻訳後の厳復と「自由」
第九章 自由と功利――梁啓超の功利主義理解を導きに
一 utilitarianismとは何か
二 西洋思想の「百科全書」
三 ベンサムとの出会い
四 楽利主義
五 定まらないベンサム像
六 「功利主義」への批判
第三部のまとめ
第四部 共和革命を目指して
第十章 ある「革命」論――留日学生界の動向
一 孫文神話
二 「革命軍」の興り
三 「革命」観の分岐
四 「中等社会」の提唱
五 「奴隷」から「国民」へ
第十一章 宮崎滔天『三十三年の夢』と章士釗『孫逸仙』
――孫文と共和主義
一 孫文と宮崎滔天の出会い
二 共和主義の立場
三 孫文伝としての『孫逸仙』
第十二章 近代中国におけるデモクラシーの運命――「民主」と「共和」
一 新文化運動での「徳先生」
二 デモクラシーの訳語の混乱
三 「民主」と「民権」
四 「民権」をめぐる争論
五 『亜東時報』での提言
六 「民主共和国」の模索
第四部のまとめ
終 章
参考文献一覧
あとがき
人名索引
内容説明
【序章より】(抜粋)
清末思想の研究では、例えば「洋務・変法・革命」の段階論、あるいは「西洋の衝撃」に対する「中国の反応」などの図式によって描く先行研究が存在した。本書はそれらの図式を採らない。本書は、西洋文明と東洋文明が交錯する思想空間として清末思想を捉える。
本書は第一部「東西文明への視角」、第二部「東西の学知の連鎖」、第三部「自由への懐疑と模索」、第四部「共和革命を目指して」の四部構成をとる。
第一部「東西文明への視角」では、東西文明を分析する視座を提供した清末におけるいくつかの議論を紹介する。近代中国の知識人たちは東洋文明の立場から西洋文明をどのように捉えようとしたのか。
第二部「東西の学知の連鎖」では、西洋の諸学知(社会契約論、政治学、哲学)が中国においてどの ように理解されたのかを具体的に分析する。西洋の学知は単なる「受容」という枠組みだけで理解することは出来ないであろう。西洋の学知の中国への仲介者としての「東学」(日本における西洋学術)にも言及する。
第三部「自由への懐疑と模索」では、近代中国における「自由」についての思索をこれまでとは異なる角度から分析を加える。中国の知識人の多くは「自由」を西洋近代社会の根幹であると考えており、「自由」について様々な思索を行っている。
第四部「共和革命を目指して」では、いわゆる「革命」論が興起したとされる時期を分析の対象にする。「革命史観」では捉えることの出来なかった側面に焦点を当て、新たな思想史像を提示する。清末は知識人たちが革命運動のかたわら西洋的なデモクラシーを探求した時期でもあったのである。