目次
(1)王何ぞ必ずしも利と曰ん
(2)賢者も亦た此を楽しむか
(3)則ち何如。曰く不可なり
(4)材木勝げて用うべからざるなり
(5)五畝の宅、之を樹うるに桑を以てすれば、五十の者以て帛を衣るべし。
雞豚狗彘の畜い、其の時を失う無ければ、七十の者以て肉を食うべし。
百畝の田、其の時を奪う勿ければ、数口の家、以て飢うる無かるべし
(6)数口の家
(7)七十の者帛を衣て肉を食う
(8)曰く、庖に肥肉有り、廐に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩有り。
此れ獣を率いて人を食ましむるなり
(9)悪んぞ其の民の父母と為るに在らんや
(10)税斂を薄くす
(11)之を如何せば則ち可ならん
(12)耕耨して以て其の父母を養うことを得ざらしむ
(13)王往きて之を征す
(14)七八月の間旱すれば
(15)則ち苗槁れん
(16)其れ是くの如ければ、孰か能く之を禦めん
(17)民の之に帰すること、由水の下きに就くがごとし
(18)沛然として誰か能く之を禦めん
(19)以む無し
(20)則ち王か
(21)吾其の觳觫たるに忍びず
(22)天下は掌に運らすべし
(23)今恩は以て禽獣に及ぶに足れども、功は百姓に至らざるは、独何ぞや
(24)王請う之を度れ
(25)蓋れ亦た其の本に反れ
(26)曰く、恒産無くして恒心有るは、惟だ士のみ能くすと為す。
民の若きは、則ち恒産無なければ、因りて恒心無し。
苟も恒心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。
罪に陥るに及びて、然る後従いて之を刑するは、是れ民を罔するなり。
焉んぞ仁人位に在る有りて、民を罔すること為すべけんや
(27)仰ぎては以て父母に事うるに足らず
(28)則ち斉国は其れ庶幾からんか
(29)王色を変ず
(30)民と之を同じくす
(31)天子諸侯に適くを巡狩と曰う。巡狩とは守る所を巡るなり。
諸侯天子に朝するを述職と曰う。述職とは職とする所を述ぶるなり
(32)関市は譏して征せず
(33)簞食壺漿して以て王の師を迎う
(34)湯一めて征する、葛より始む
(35)東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨む
(36)民之を望むこと、大旱の雲霓を望むが若し
(37)市に帰く者止まらず、耕す者変ぜず。
其の君を誅し、而して其の民を弔う。時雨の降るが若し。
民大いに悦ぶ。書に曰く、我が后を徯つ。后来れば其れ蘇らん
(38)君の民、老弱は溝壑に転ず
(39)去りて岐山の下に之きて居る
(40)已むを得ざるなり
(41)身の能く為す所に非ざるなり
(42)将に孟子を見んとす
(43)飢えたる者は食を為し易く、渴したる者は飲を為易し
(44)其の心に生ずれば、其の政に害あり。
其の政に発すれば、其の事に害あり。
聖人復た起こるも、必ず吾が言に従わん
(45)子夏、子游、子張
(46)以て仕うべくんば則ち仕え、以て止るべくんば則ち止り、
以て久しくすべくんば則ち久しくし、以て速やかにすべくんば則ち速やかにす
(47)皆古の聖人なり
(48)生民より以来、未だ孔子有らざるなり
(49)皆為さざるなり
(50)此の詩を為る者は、其れ道を知らんか
(51)惻隠の心は、仁の端なり。羞悪の心は、義の端なり。
辞讓の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり
(52)賢を尊び能を使い、俊傑位に在れば
(53)人の安宅なり
(54)是れ不智なり
(55)悪人の朝に立たず、悪人と言わず。
悪人の朝に立ちて、悪人と言うは、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如し
(56)柳下恵は、汚君を羞じず、小官を卑しとせず
(57)故に曰く、爾は爾為り、我は我為り
(58)人の大倫なり
(59)此の謂に非ざるなり
(60)与に為すこと有るに足らざるなり
(61)諸有りや。曰く、然り
(62)吾何ぞ彼を畏れんや
(63)舜は何人ぞや。予は何人ぞや
(64)吾之を受くる所有るなり
(65)坐して定むべきなり
(66)天下に氾濫す
(67)予豈に弁を好まんや
(68)洚水とは、洪水なり
(69)墨氏は兼愛す
二、 『孟子』 下
(70)夫れ国君仁を好めば、天下に敵無し
(71)正路を舎てて由かず
(72)興りて曰く、盍ぞ帰せざるや
(73)舜告げずして娶る
(74)則ち君子必ず自ら反りみるなり
(75)是れ汝の知る所に非ざるなり
(76)帝其の子九男二女をして、百官・牛羊・倉廩備え、以て舜を畎畝の中に事えしむ
(77)仁人は固より是の如きか
(78)人の能く為す所に非ざるなり。天なり
(79)「天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覚さしめ、先覚をして
後覚を覚さしむるなり。予は天民の先覚者なり。予将に斯の道を以て
斯の民を覚さんとするなり。予之を覚すに非ずして誰ぞや」。
天下の民、匹夫匹婦も堯舜の沢を被らざる者有るを思うこと、
己推して之を溝中に内るるが若し。
其の自ら任ずるに天下の重きを以てすること此の如し
(80)居るに忍びざるなり
(81)鄙夫も寛に、薄夫も敦し
(82)天子の制は、地方千里
(83)公侯は皆方百里
(84)則ち之を友とす
(85)則ち我に事うる者なり
(86)王公の賢を尊ぶに非ざるなり
(87)其の接するや礼を以てす
(88)何ぞや。孟子曰く、敢えてせざるなり
(89)子思悦ばず
(90)夫れ義は、路なり
(91)果たして外に在り、内に由るに非ざるなり
(92)思わざるのみ
(93)終に亦た必亡わんのみ
(94)地足らざるに非ず、而も百里に倹せり
(95)堯舜は、之を性のままにするなり。湯武は、之を身のままにすなり
(96)帰すれば、斯れ之を受くるのみ
(97)我明らかに子に語げん(補遺)
(98)吾之を聞けり(補遺)
(99)則ち嘗て之を聞けり(補遺)
参考文献
解説
『四書句辨』の成立と学術的意義(湯浅邦弘)
懐徳堂と「四書」(佐野大介)
『四書句辨』のテキスト問題─補遺を中心に─(六車楓)
(附録)孔子・孟子関係年表(菊池孝太朗)
あとがき
索引
執筆者紹介
内容説明
儒教の最重要経典「四書」は、印刷製本技術の発達とともに近隣諸国にも伝播し、儒教文化圏の形成に大きな役割を果たした。そうした中、読者の便宜を考慮して巻末に附録を併載するものが出てくる。その一つに「四書句辨(くべん)」がある。短編ではあるが、極めて興味深い内容で、「四書」の中から重要な語句を取り上げ、同一または類似する他の用例を併記したものである。
この附録付きの「四書」は、江戸時代初期には日本でも和刻 本として刊行され、大坂の儒者中井竹山(1730~1804)は、この附録部分を自ら抜き書きし、『四書句辨』として独立させている。儒教の名句を学ぶ重要な教材だと考えたのであろう。
そこで本書では、中井竹山の思いを継承し、この『四書句辨』を単行本として現代によみがえらせることを目的とする。上巻では、『大学』『中庸』『論語』までを取り上げ、下巻には『孟子』を収録し、巻末には、「解説」として「『四書句辨』の成立と学術的意義」(湯浅邦弘)、「懐徳堂と 「四書」」(佐野大介)、「『四書句辨』のテキスト問題─補遺を中心に─」(六車楓)を掲げ、さらに、「孔子・孟子関係年表」(菊池孝太朗)、索引を付す。