目次
導入:〈她〉という字と「文化史的出来事」
第1章 “she”の翻訳の困難――ヨーロッパ言語との接触後に現れた新しい問題
1、“she”の中国語翻訳の困難の出現
2、『文法初階』の独創的翻訳とその限界
第2章 〈她〉という字の誕生と〈他女〉、〈女它〉
――『新青年』の編集者による早期の協議と試み
1、〈女它〉という字の考案と、それに先立って流行した「他女」
2、“she”の翻訳方法に関する銭玄同と周作人の初期の討論
第3章 1920年4月以前の〈她〉という字の早期使用についての考察
――文学の角度からの追跡
1、康白情と兪平伯、及び新文学における〈她〉という字の導入
2、詩における最初の〈她〉の導入、及び早期のいくつかの用例
第4章 〈她〉の存廃をめぐる論争、〈她〉と〈伊〉の競合
――言葉を選ぶ者と選ばれる言葉
1、〈她〉という新たな字は廃止されるべきか
2、〈她〉と〈伊〉の競争、一時は〈伊〉が優勢を占めた
第5章 性別への戸惑い:「女」に関連する語
――男女平等の観念と〈她〉という字の出会い
1、男女平等の観点から〈她〉という字に反対する三つの態度
2、「英雌」と〈她〉――言葉、性別、政治
第6章 〈她〉と〈他〉、〈牠〉、〈它〉――新しい代名詞系統の形成と位置づけ
1、三人称代名詞の区分についての異なる方案と議論
2、〈它〉と〈牠〉という二字の造り変えと〈她〉の定着
第7章 1920年4月以後の〈她〉という字の普及の過程
――人々の認識の深まりと定着について
1、『小説月報』と中学国語教科書に見る〈她〉という字の社会への浸透
2、陳寅恪らの最後の「抵抗」と周瘦鵑の最終「降伏」
第8章 近代化への要求と、外国語の要素並びに中国語の伝統との相互作用
――〈她〉という字の勝利の原因とその歴史的文化的影響
1、〈他〉と同じ発音だが形はやや異なる:〈她〉という字が〈伊〉に勝利した主な原因
2、近代化を透視する:さらなる発掘を要する多角的分析
3、〈她〉という言語記号がもたらす文化的効果についての歴史的考察
あとがき
主要参考文献
訳者あとがき
内容説明
【「日本語版序文」より】(抜粋)
今日の中国人の多くは、日常的に使用されている女性三人称代名詞〈她〉の字が、五四運動期に漸く形成され、徐々に普及した新名詞であることを知らない。〈她〉の由来について知る人々でさえ、しばしばこの字が劉半農の詩「どうして彼女を想わずにいられよう」において創造されたと誤解している。〈她〉という字の形成と普及の生動的な歴史や、それが含み持つ豊かな文化的含意については、一層深い理解が乏しい状況である。実際、現代中国語の新しい女性代名詞記号としての〈她〉の誕生、早期の書記実践と社会に受容されるプロセスには、探索と吟味に価する豊富で多彩かつ複雑な歴史的内容が含まれている。このプロセスの全面的な提示は、現代中国語の改革、新文芸の起源、女性解放意識の出現と強化及び社会への浸透、そして清朝晩期・民国期における中外文化交流の相互作用などを理解する上で、特有の歴史的文化的意義を持つ。これは私が〈她〉という字を研究対象にしようと考えた最初の動機である。
【「訳者あとがき」より】(抜粋)
本書は黄興濤氏『“她”字的文化史――女性新代詞的発明与認同研究』の邦訳である。本書は現代中国語の女性三人称代名詞「她」という字の「発明」から社会一般に浸透するまでの過程を追うものである。本書の最大の特色は、歴史研究者の手によって「她」の誕生と普及の文化史的意義が解明されたことであろう。著者は「她」という字を単に東西文化の接触によって現れた言語現象として捉えるのではなく、「她」の発明を20世紀中国の「文化史的な出来事」の一つとして捉え、この「出来事」が現代中国語、中国のジェンダー文化、文学、思想観念の変遷に与えた影響について丹念に考察した。著者は「她」と同じ時期に提案された複数の女性三人称代名詞候補をめぐる劉半農、魯迅、陳寅恪など当時の代表的な文化人が加わった論争、対立を通じて、「她」の発明から定着までの過程を近代中国の激動の歴史のなかで描いた。