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日本古代律令学の研究

日本古代律令学の研究

◎奈良・平安期~鎌倉初期にかけての、明法道のあり方とその担い手 「明法家」の役割を、日本古代法学史上に包括的にとらえる!

著者 瀬賀 正博
ジャンル 日本史
日本史 > 古代
出版年月日 2021/03/16
ISBN 9784762942334
判型・ページ数 A5・432ページ
定価 11,000円(本体10,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序 章 明法道研究の課題と本書の構成
  一 本書の課題と問題意識       
  二 本書の構成と概要

第一章 明法道概観─明法道論のための視点と課題─
  一 律学と明法道           
  二 明法家の地位    
  三 大学寮明法科と明法家の業績    
  四 律令裁判制度の変質と明法道 
  五 明法家の法解釈技法と法源観

第二章 律学と明法道
  一 明法の語義   
  二 律学と明法、明法道   
  三 中国における律学および明法道研究

第三章 明法道の形成と家学
  一 明法道の成立と展開        
  二 明法道前期―家学の発生と継承
  三 明法道盛期―惟宗氏と博士家の成立 
  四 法書の系譜

第四章 罪名勘申成立論 
  一 問題の所在      
  二 太政官と刑部省     
  三 罪名勘申の成立

第五章 法家問答論
  一 令官・令師・明法曹司 
  二 明法曹司から法家へ   
  三 法家問答の類型

第六章 明法勘文機能論
  一 裁判手続と明法勘文 
  二 明法勘文の機能(一)刑事的事件をめぐる機能  
  三 明法勘文の機能(二) 所領相論をめぐる機能    
  四 勘文失錯の構造

第七章 明法勘文構造論
  一 明法勘文の一般的構造        
  二 明法勘文の構造(一) 罪名勘文
  三 明法勘文の構造(二) 公事勘文   
  四 その他の明法勘文

第八章 明法道における判例および学説法
  一 明法家の法源観     
  二 判例法の形成と先例拘束性   
  三 明法学説の法源性

第九章 明法道講書試論
  一 明法道講書の概要と意義       
  二 講書の実態に関する若干の考察
  三 講書記としての異質令集解巻卅五   
  四 明法道講書と日本紀講書、法制整備プロセス

附篇

 第一 『本朝法家文書目録』考
  一 本目録の梗概            
  二 成立年代     
  三 若干の考証   
  四 群書類従本の周辺          
  五 古事類苑本の周辺

 第二 中世法書『金玉掌中抄』の基礎的研究
  一 書名および著者           
  二 構成と体裁
  三 箇条の分析(一) 一覧的な例示   
  四 箇条の分析(二) 按文と条文引用
  五 箇条の分析(三) 先行法書との関係 
  六 著述目的

 第三 『金玉掌中抄』写本伝来に関する覚書
  一 谷垣守手写本            
  二 林春斎旧蔵本    
  三 村田春海手写本
  四 国立天文台図書室所蔵本       
  五 写本の系統と裏書をめぐって

 第四 違勅罪の再検討
  一 職制律22詔書施行違条の法意    
  二 違勅罪と違式罪
  三 違勅罪の概念と処罰(一)   
  四 違勅罪の概念と処罰(二)

所収論文成稿一覧
跋 文
索 引

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内容説明

【序章より】(抜粋)

  本書は、日本における律令法の運用に法律専門家として携わった、明法家と呼ばれる一群の法学者・法曹官僚の活動を解明して、前近代日本の「法学」史の一齣として明法道を位置づけるための序説である。……日本が歴史上、はじめてまとまった制定法を持つことになったのは中国律令法の継受に始まるが、おそらくこの際に、中国の法に関する学術も移入されたと考えてよい。古来、中国における法運用の技術は「刑名法術の学」と呼ばれ、後には「律学」と称したが、これは近代西欧的な法学とは質を異にする。本論でも述べるが、近代西欧法学をのみ法学と呼ぶとするならば、それは当然わが国前近代の「法に関する学術」とは質的に異なったものである。しかし、「法の担い手」の思考様式や技術もまた法学を構成するものとしてよいのであれば、アジアにはアジアの、日本には日本の法学の歴史があってよいのではないか、そう考えるのである。……もともと明法とは、古代中国において、遅くとも漢代には使用されていた熟語と考えられる。この語は「法律を然るべく運用する」ことを意味したが、同時に「法の趣旨(法意)を明らかにする」ことをも意味した。日本では専ら後者の意味で使われるようになり、法意を知る者を法家あるいは明法家、律令法を教授する大学寮の学官を明法博士などと称し、その官僚としての側面が強調されるとき、彼らは法曹と呼ばれた。彼らの活動は明法道と称され、本書各章で述べるところではあるが、必ずしも法を無意志的に執行しているわけではない。彼らの業績である様々な法律書(かりに法書と呼ぶ)では、現実への適用とは無関係に見えるような、純粋に学理的な法解釈をしていると考えられる部分もあるし、また、公卿裁判のさいの判決原案ともいうべき明法勘文(法家勘文)も、必ずしも裁判権者=為政者にとって都合の良い法判断を示しているものばかりではない。たしかに、裁判権者である公卿の思惑に沿わない勘文を提出した明法家に対しては勘文失錯という咎めのあることは構造的な限界を示していると言わざるを得ないし、公卿の側から見れば、明法家は、自己の政治的判断に法的正当性を与える根拠を探し出す技術者として位置づけられていたということも否定できない。ここには法によって為政者に縛りをかけるという、近代的な意味での法の支配の意識は見られない。しかし、明法家の著述を見れば、権力から離れて純粋に学的関心から法を捉えようとする営みがあったことも事実であるし、『令集解』に代表される律令註釈書に見られる概念法学的な要素や、明法道講書の在り方等からも、今日的な意味での法学に近似する学的営みが窺知されるのである。

【本書の構成】

 第一章は、律令学としての明法道がどのように展開したかという視点から先学の研究を整理し、研究課題を提示する。
 第二章は、日本や中国において、法学を意味する「律学」「明法」の語について、その語義を明らかにし、わか国の明法道は唐の律学に範をとりつつ、独自性を持つものとして誕生したことを指摘。
 第三章は、奈良・平安期の法曹たる明法家という存在(立場)を考察する。明法道と呼び習わせる学問領域がどのように形成してきたか、また、法に通じ、それゆえに法曹実務に与えるようになった律令専修者の地位がいかなるものであったかについて論じる。
 第四章は、摂関期の太政官裁判において主要な役割を果たしている明法家の罪名勘申の慣行を律令裁判制度の延長線上に位置づけて、その成立過程を考察する。
 第五章は、奈良時代後期から平安時代にかけておこなわれた、法律問題の質疑に対して明法家が回答(解答)する慣行の特質を論じる。
 第六章では、摂関・院政期の公卿による裁判機関でもあった陣定における明法勘文のはたらきやその実効性について考察する。
 第七章は、明法勘文の構造を分析し、そこに引用される法源と明法家の法判断(勘判)との相互関係について論じる。
 第八章は、明法家の過去の法判断や学説が法源となり得るかを論じる。
 第九章は、従来不明な点が多いとされてきている明法道講書(律令講書、明法講書とも)について、日本紀講書(日本書紀講書)との関係の有無、儀式執行過程の共通性、法制整備のプロセスと明法道講書の関係等につき考察する。
 附録は、明法道について折に触れて関心を持った個別のテーマに関する論考をあつめる。



Study of Jurisprudence and Legal Profession under the Ritsuryo (律令) Legal System in Japan

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