目次
解 題
はじめに
一 原史料と研究史
二 通説への疑問
三 洪德期追加法と『刑律』、明律との比較
四 模倣性と獨自性
おわりに
參考文獻
大越黎朝 國朝刑律
凡 例
獄具之圖
五服總圖
本宗九族五服之圖
國朝刑律目録
國朝刑律第一卷 名例章凡四十九條
衞禁章凡四十七條
國朝刑律第二卷 違制章凡一百四十四條
軍政章凡四十三條
國朝刑律第三卷 戸婚章凡五十八條
田産章凡三十二條
始增田産章凡十四條
增補香火令凡四條
增補參酌校定香火凡九條
姦通章凡十條
國朝刑律第四卷 盗賊章凡五十四條
闘訟章凡五十條
國朝刑律第五卷 詐僞章凡三十八條
雜律章凡九十二條
國朝刑律第六卷 捕亡章凡十三條
斷獄章凡六十五條
付 錄
凡 例
天南餘暇集 條律
洪德善政
國朝洪德年閒例諸供體式
故黎律例 洪德申明條例・國朝新增條例六十四條・題のない條文類(無題)
あとがき
索 引
内容説明
【解題より】(抜粋)
黎朝政權は科擧を導入するにあたって朱子學を正統としたが、社會の側の「儒教(朱子學)社會」への轉換の歩みは遅く、上からの改革という形でその動きを促進させようとしたのが聖宗と聖宗に與する科擧官僚達であった。そのため、彼(彼ら)は舊來の『刑律』に滿足せず、明律の影響を受けた法令を逐次交付した。そして究極的には明律そのものを採用する可能性すらあった。しかしそうした試みは結局成功せず、そうした法令は死文化したまま、聖宗期の法令として後世に殘ることになったのであろう。
聖宗の死後わずか三〇年で黎朝を簒奪した莫氏は『全書』の記載にもある通り、社會の反發を恐れて黎朝の法を繼續使用した。『善政』はそのために聖宗期を中心とした黎朝の法令を集めたものではあるが、その内容や配列からして版行布告が目的ではなく、將來の根本法作成の準備が目的であった可能性の方が高い。しかし、亡命黎朝勢力との闘いが續く中、結局それも實行には移されなかった。そして『刑律』の正條追加部分である田産章附の「增補香火令」と「增補參酌校定香火」の全條文が『善政』に収錄され、條文の順序もほぼ揃っていることを勘案すると、莫氏こそが現存の『刑律』のもととなった、最も新しくそして最後となった官版『刑律』を作成したのではなかろうか。
よって同書は黎朝初期の法と認識して利用することが研究者としては妥當な姿勢であると校合者は考える。陳末から黎朝成立を經て、ヴェトナムの社會や政治體制は大きく變わったが、その上で同書の成立史を鑑みれば、明律の影響を受けたと思われる條文や明かに後世のものと判明している條文を除けば、陳朝後期の史料としても同書は一部利用が許されると考える。
NATIONAL CODE OF THE LÊ DYNASTY, ÐAI VIÊT