内容説明
伊勢物語は、伝本の大半がいわゆる定家本の系統に属するにもかかわらず、藤原定家の真筆本は現存していない。ここに公刊する、鶴見大学図書館所蔵の「伝小堀遠州筆伊勢物語」は、定家真筆本を直接に臨写した一本と思われ、その蓋然性をさまざまな角度から探った。著者の古典籍全般に亘る蘊蓄を傾けた検証は、テキストの認定方法として多くの示唆に富む。三条西家本・冷泉為和書写本と本文を異にし、さらに撥音識別表記が定家真筆本「御物本更級日記」に匹敵するほどに厳格である定家筆臨模本の提供が、国文学会、国語学会に与える恩恵は計り知れないであろう。
ここまで書誌学上の吟味に始まり、定家特有の筆蹟や書写様式、仮名遣や、いわゆる仮名遣とは別に扱われる用字法などに加えて、行間勘物の内容、第一一一段贈答歌の別筆問題等、さまざま述べてきたように、証明を積み上げて来た。従って、鶴見本が、伊勢物語定家真筆本の一つを、室町時代後期に模写した伝本であるのを、今やいささかも疑わないので、最終章としては、これが本文としていかなる性格を持ち、本文から見て、他の定家本諸本の中にいかに位置づけられるかに論及する必要があるであろう。そして本文について論じる前提として、本書では付篇一として全文の厳密な翻印を示し、池田亀鑑氏、大津有一氏、山田清市氏が提供する三つの『校本』を利用する便宜から、各底本である三条西家旧蔵天福本・静嘉堂文庫蔵武田本の二部と、根源本の代表として九州大学図書館蔵伝為家筆本との校合をこれに加え、「略校本」とした。その上、付篇二に鶴見本の書影全文を示して原姿を伝えることとした。(略)
本文とは別に、伝本間に見られる多彩な定家行間勘物のうち、鶴見本が比較的簡素な勘物を持つのは、書写年代の早さを示すものと判断されたが、本文が撥音識別表記確立期の様態を顕著に示す以上、六〇歳よりあまり遡りえないことになり、そう早くはさせられない。 鶴見本親本たる定家真筆本の書写位置は、あくまでも本文の検証を基軸に、これらを総合して判断する必要がある。