目次
序章
第一部 『梧桐雨』雑劇の作品世界
第一章 『梧桐雨』雑劇の晩秋の季節
一 『梧桐雨』雑劇第二折に描かれる晩夏と晩秋の季節
二 『梧桐雨』雑劇第三折に描かれる晩秋の季節
三 『梧桐雨』雑劇第四折に描かれる「秋夜梧桐雨」
第二章 『梧桐雨』雑劇における楊貴妃と嫦娥
一 玄宗と楊貴妃のなれそめについて
二 玄宗の中秋月宮行の物語
三 「十美人」について
四 『梧桐雨』雑劇における月宮行の物語の意味
第二部 『天宝遺事諸宮調』初探
第一章 『天宝遺事諸宮調』の物語展開と季節描写
一 「遺事引」によってわかる物語展開
二 晩秋の季節への改変
三 春の季節で描かれる套数
四 初秋と中秋で描かれる套数
おわりに――作品全体の季節の流れ――
【附表】『天宝遺事諸宮調』の物語展開、及び現存する套数
第二章 『天宝遺事諸宮調』における寓意的表現――海棠と蓮を中心として――
一 物語展開の寓意が込められた季節描写
二 海棠の描かれ方
三 ハスの描かれ方
四 楊貴妃の足と亡国の関係
五 桃と柳の描かれ方
第三章 『天宝遺事諸宮調』の輯録状況
『天宝遺事諸宮調』輯録状況表
第三部 謡曲『楊貴妃』と中国文学
第一章 元雑劇に描かれる楊貴妃――および謡曲『楊貴妃』との関連について――
一 先行研究など
二 元雑劇に描かれる楊貴妃
三 謡曲『楊貴妃』との関連
第二章 謡曲『楊貴妃』の構成
一 各作品との比較
二 中国の作品に描かれない内容について
第四部 恋愛を描く関漢卿の雑劇
第一章 関漢卿の恋愛劇における〈もの思い〉の位置
一 恋愛劇の二つの流れ
二 恋愛劇の構成要素の配置
三 恋愛劇の構成と〈もの思い〉の位置
四 〈もの思い〉と風景
五 恋わずらいと自意識との葛藤
第二章 女性の嫉妬から見た関漢卿の恋愛劇
一 関漢卿と恋愛劇
二 関漢卿の恋愛劇に描かれる正旦の嫉妬
三 正旦はなぜ嫉妬するのか
四 『董解元西廂記諸宮調』の鶯鶯の嫉妬
五 負心劇の描く理想の結婚
六 散曲に描かれる女性の嫉妬
第五部 三国劇にみる中国伝統演劇の一貫性
第一章 元雑劇における関羽の神格化の表現
一 亡霊としての関羽
二 人であり神である関羽
三 死後に神になる存在としての関羽
四 領主として領民を守る関羽
五 神として祭られる関羽
六 ト書きの表記
第二章 二十一世紀の京劇と三国志
一 京劇と三国志
二 三国劇の新編劇
三 二十一世紀の三国劇の特徴
四 今後の展望
第三章 京劇の伝統劇における三国志
一 人物形象の類型化と三国志の人物
二 三国志の物語の描かれ方
三 崑曲の演目について
終章
主な参考文献
初出一覧
あとがき
索引
内容説明
【序章より】
本書『中国古典芸能論考』は中国の古典芸能、特に元雑劇に関する論考を中心に収録した論文集である。
中国文学の書籍を読み慣れた方の中には「古典芸能」という言葉に違和感を覚える方も多いのではないだろうか。「古典芸能」といえば、一般には、能・狂言・歌舞伎・文楽など、日本の近世以前から続く芸能を指し、たとえば、世阿弥の作品研究等は「古典演劇の研究」というよりも「古典芸能の研究」という方がしっくりする。これは日本の研究においては、演劇とそれ以外の芸能が密接な関わりを持っており、切り離して論ずることができないという認識の現れだと感じられる。
この「芸能」という言葉は中国語に訳すことのできない言葉である。言葉がないということは、その概念がないことを表す。つまり、中国には「芸能」という概念がないのである。日本でいう「芸能」の分野を中国語で表す場合は、少なくとも“戯曲”(伝統演劇)と“曲芸”(“説唱芸術”等、日本の「演芸」にあたる芸能)という二つの言葉を使う必要がある。中国では演劇とそれ以外の芸能の間には、くっきりと線が引かれているのである。しかし実際には中国においても、演劇とそれ以外の芸能は陸続きで、多くの作品世界を共有しているのではないだろうか。演劇作品に描かれる世界観を知るには、その他の芸能で同じ題材がどのように描かれているのか、可能な限りにおいて検討する必要があるのではないだろうか。(中略)
本来、中国の古典芸能というカテゴリーは、中国文学の範疇に収まらず、史学・民俗学・建築学・美術史等、多方面にまたがる学際的な学問領域である。日本文学では芸能史という、一つの学問のカテゴリーとして認識されており、西洋文学の演劇学もこれに近いカテゴリーであろう。中国国内でも近年、芸能史に建築学や考古学も加えた“戯曲文物学”という新しいカテゴリーが生まれている。しかし日本の中国学研究においては長年、古典戯曲の研究ですら、近世白話小説研究の一部分としての地位に甘んじており、現在でも独立したカテゴリーとして認められてはいない。ましてや古典芸能に関する研究は、特に民国以前の古典芸能に属する“説唱芸術”に関する研究は、日本でも一定数行われているものの、やはり近世白話小説研究の中に埋もれてしまっているのが現状であろう。
本書の題名に「中国古典芸能」という、中国文学研究では通常はあまり使われない言葉をあえて使用したのは、中国文学研究において古典芸能を一つのカテゴリーとして少しでも意識してもらえれば、という思いの表明でもある。