目次
第一章 元明交替と国子学政策の継承
第一節 京師・国子学・科挙
第二節 修学方法の継承
第二章 明初の科挙復活と監生
第一節 升堂法・積分法の内容
第二節 科挙と升堂法・積分法
第三節 科挙復活後の監生の動向
第三章 歴事出身法の再検討
第一節 歴事出身法の確立とその背景
第二節 永楽年間における歴事法の展開
第三節 監生の動向
第四章 監生の増減
第一節 入監と転送
第二節 在籍監生の増減
第五章 明代中期の国子監官と監生
第一節 南陳北李
第二節「南陳北李」以後
第三節 進士合格者に占める監生の割合
第六章 嘉靖期の国子監政策
第一節 世宗の三途併用
第二節 歳貢の基準変更と挙人の強制入監
第七章 明代後期、南人監生の郷試受験
第一節 南北国子監の並立
第二節 両京郷試の解額
第三節 監生の増加と解額
第八章 捐納入監概観
第一節 実施状況
第二節 明代捐納入監の性格
第九章 捐納監生の資質
第一節 捐納監生に対する評価
第二節 捐納監生の科挙合格
第十章 監生の回籍
第一節 正統期の監生
第二節 給仮による回籍
第三節 依親の令
第四節 捐納監生の回籍
第十一章 国子監入学者の一検討
第一節 生員での入監
第二節 挙人での入監
結言
補論 洪武年間の制挙
第一節 実施の目的
第二節 推挙の対象
第三節 実施法の充実
あとがき
資料 関於明太祖的文教政策(提要)
人名索引
事項索引
中文目次
英文目次
内容説明
【緒言より】
国子監は隋代以後、中央の諸ろの学校を管轄するために設けられた教育行政の機関であり、学生を直接指導する教育機関ではなかった。教育機関としての学校には国子学・太学等が存在した。明代になると、国子監と国子学の一体化が進められ、行政と教育を兼ね行う機関となり、国子学の名称は姿を消した。本書で扱う明代の国子監は京師に置かれた学校であり、当初は国子学と称していた。
これまでの研究で明代の国子監に関する制度はほぼ解明されている。その存在は教育にとどまらず、多方面に影響を及ぼしたが、官僚養成という面からその制度的変遷を概観すると、次の通りであろう。(中略)確かに国子監は科挙の下に位置づけられていた感がある。しかし、進士が重視されるのは科挙が再開された洪武中期ではなく、むしろ永楽を過ぎてからのことであるし、そもそも進士合格者の中に監生がいることに何ら問題はなく、監生と進士を、あるいは国子監と科挙を対抗的にとらえるのは適切とは言えない。ともに科挙社会におけるランクの上下に過ぎない。また、捐納による入監者の増加は問題となったが、当初は監生全体からすれば僅かであり、継続して捐納が認められていた訳ではない。やはり問題となるまでには時間があり、さらに捐納実施に対する見方・考え方にも着目する必要がある。捐納入監が断続的にせよ実施されたのは、誰もが捐納を好ましくないと考えていたわけでないからであろう。そもそも太祖洪武帝は国子監の拡充を図って制度を定めたが、はたして監生は洪武帝の意向通りになったか、あるいは監生はどの時期でも同様に進士合格を目指していたのか、というような点にも検討を加える必要があると思われるのである。こうした疑問が生ずるのは、おそらく諸制度の制定や改変に関し、その内容については検討が加えられながらも、監生の動きに対して十分な目配りがなされてこなかったためではあるまいか。そうした点に留意し、筆者がこれまで発表した論文の中より国子監に関するものを集めたのが本書であるが、まず注目したのは監生を積極的に任用しようとする中で確定した出身法であり、次には国子監の地位を低下させたとされる捐納入監であった。むろん取り上げる課題はそこにとどまらず、監生の動向にも目を向けた。
A Historical Study of Imperial School Policies during the Ming Dynasty