内容説明
【まえがき】より
本書は、副題にあるように、「中国文学における〈狂〉」を共通の軸として、執筆者がそれぞれの関心のありようにより、ジャンルや時代を自由に選択して、作品あるいは作家を論じた論文集である。この点では六年前の平成十四年秋に、同じ汲古書院から上梓した『ああ 哀しいかな―死と向き合う中国文学』と同趣向の、その続編ともいうべき書物である。書名の「鳳(ほう)よ鳳(ほう)よ」は、『論語』微子篇に見える楚の狂人接(せっ)輿(よ)の歌にもとづいている。
楚の狂接輿、歌ひて孔子を過(よぎ)る。曰はく、鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰へたる。往く者は諫(いさ)むべからず、来る者は猶追うべし。巳(や)みなん巳みなん。今の政(まつりごと)に従う者は殆(あやふ)し、と。
楚の狂人の接輿が、歌をうたいながら孔子のそばを通り過ぎた。その歌は、「鳳よ鳳よ、なんとおまえの徳の衰えたことよ。過ぎ去ったことは改めようもないが、先のことはまだ間に合うぞ。やめよ、やめよ。今の政治に携わる者は命が危ういぞ。」とうたっていた。
「鳳」は聖賢の治世に出現するといわれる瑞鳥、ここでは聖賢の道を説いて諸国を遍歴する孔子をさして「鳳よ」と呼びかけたもの。この歌は、孔子の徳に敬意を表して「鳳よ」と呼びかけはしたが、実は乱世に道を説く孔子の愚かさを揶揄し、世を捨てて隠遁するようすすめる歌である。接輿は儒家とは対極の道家的な人物で、いわゆる「佯狂(ようきょう)」(狂をよそおう佯(いつわ)りの狂人)の隠者と伝えられており、『列仙伝』(漢・劉向)によれば、彼の姓は陸、名は通、接輿は字である。『論語』以後、例えば『荘子』には『論語』のそれと同じシチュエーションで歌の部分が長文化された人間世篇の記載のほか、逍遙遊篇と応帝王篇の合わせて三カ所に接輿の名が見え、『戦国策』(秦策・三)や「楚辞」(九章・渉江)等にも彼に関する記載があるなど、先秦時期の数種の文献に接輿は登場する。しかしながら、その実在ははなはだ疑わしく、実はおそらく道家の人々が創り出した寓話的な仮想の人物であったのだろう。本書は、前の『ああ 哀しいかな』にはなかった狂研究・狂気論に関する著書・論文を収集して参考文献とし、それぞれに簡潔な解題を付すことにした。参考文献は中国関係を中心にできるだけ網羅的に集めたが、中国にかぎらず他国関係の文献も目についたものは拾ってある。本書収載の論文とともに狂を考える際の参考にして欲しい。(マルサの会代表 佐藤 保)
【内容目次】
まえがき…………………………………………………………… 佐藤 保
六朝人の「狂」の観念の由来と変遷――「佯狂」の変容を中心に――
……… 矢嶋美都子
庾信の「狂花」に見る六朝人の「狂」の観念について――「身を全うする」ために機能する「狂」――………………………………… 矢嶋美都子
盛唐詩人と「狂」の気風――賀知章から李白・杜甫まで――
……… 谷口真由実
江南の倦客、狂言す――周邦彦………………………………… 村越貴代美
忠臣か狂士か――鄭思肖の執着と南宋遺民――…………… 大西陽子
人見卜幽軒の学問と『莊子』の狂…………………………… 王 廸
頼山陽の真「狂」……………………………………………… 直井文子
齋藤拙堂と「狂」……………………………………………… 直井文子
「日常」にひそむ「異常」――施蟄存の「怪奇幻想小説」… 西野由希子
「二十にして狂ならざるは志気没し」――銭鍾書『写在人生辺上』と『囲城』………………………………………………………………… 杉村安幾子
参考文献一覧・あとがき(佐藤 保)