目次
問題の所在
沙陀研究史
本書の構成と概要
第一部 唐後半期の政治展開と沙陀突厥
第一章 沙陀突厥をどうとらえるか──9-10世紀の沙陀突厥の活動と唐王朝──
第一節 沙陀突厥の足跡──唐初から大同盆地への移動まで──
第二節 沙陀と代北五部
第三節 沙陀突厥と唐末北辺財務体制
第四節 沙陀突厥と唐王朝の関係
黄巣の乱前後の関係
沙陀関係史料の書き換え問題
第二章 唐末五代の代北における沙陀集団の内部構造と代北水運使
──「契苾通墓誌銘」の分析を中心として──
第一節 代北五部──沙陀集団の内部構造──
第二節 「契苾通墓誌銘」からみた代北五部の存在形態
第三節 北辺財務体制と沙陀集団の興起
第三章 唐末「支謨墓誌銘」と沙陀の動向──九世紀の代北地域──
第一節 「支謨墓誌銘」
第二節 編纂史料にみえる編年の再検討──墓誌銘との比較──
第三節 墓誌を用いた唐末沙陀史の復原
附・沙陀関係史料年表
第四章 唐後半華北諸藩鎮の鉄勒と党項──沙陀系王朝成立の背景──
第一節 朱泚の乱と華北諸藩鎮の鉄勒・ソグド集団
第二節 8─9世紀の華北の鉄勒集団
第三節 振武の党項、府州折氏と真定のソグド人──宋王朝への展望──
第二部 史料編
第五章 晋王墓群──山西省代県所在の沙陀墓葬群──
第一節 李克用および沙陀李氏墓葬地
第二節 山西省忻州市代県の晋王墓群
第三節 考古発掘と遺跡の状況
第四節 晋王墓群踏査および関連資料調査
第五節 晋王墓群の現況
第六章 「契苾通墓誌銘」及び「契苾公妻何氏墓誌銘」訳注と考察
第一節 「契苾通墓誌」釈文・訓読・語釈・試訳
第二節 「契苾公妻何氏墓誌名」釈文・訓読・試訳
第三節 考察──「契苾通墓誌」に書かれた南走派ウイグル──
第七章 「支謨墓誌銘」訳注と考察
第一節 釈文
第二節 訓読
第三節 試訳
第四節 語釈
第五節 度支と中央財庫
──「司農寺丞・兼専知延資庫官事」と
「太府少卿・知度支左蔵庫出納官」について──
結 語
参考史料・文献一覧
初出一覧
あとがき
英文目次
中文目次
内容説明
【序文より(抜粋)】
本書はテュルク系遊牧民である沙陀突厥と、唐王朝(李氏:618─907)との関係を軸にして、唐初以来の羈縻州のあり方や沙陀集団を構成した遊牧系諸部落、ソグド人との関係、残された編纂史料の偏りなどに着目しつつ、五代の諸王朝を成立させるに至る沙陀突厥の興起を、東部ユーラシア史の中に位置づけようとする試みである。
沙陀突厥は、唐王朝末期に龐勛の乱(868─869)と黄巣の乱(874─884)という唐王朝にとって致命的な大動乱を鎮圧する大功をあげたことによって、唐末の一大政治勢力となり、ついには五代時期の後唐(李氏:923─936)・後晋(石氏:936─946)・後漢(劉氏:947─950)・後周(郭氏・柴氏:951─960)を成立させたものとして著名である。本書は、この沙陀突厥の歴史を、唐王朝の前半期から極末期まで、約300年間にわたって跡づける。ただし、唐初にはそれほど重点を置かず、安史の乱後の唐後半期に大きな重点を置きながら論じる。
本書では、唐代において、農業遊牧境域地帯の果たした役割に配慮しつつ、その地域で成長し、唐王朝を受け継ぐ存在となっていった沙陀突厥の歴史を概観し、以下五つの問題を設定する。
(1)唐王朝と沙陀突厥とは、どのような関係を取り結んだのか。
(2)沙陀突厥あるいは「沙陀集団」は、どのように構成され、沙陀と唐初以来の羈縻州とはどのような関係にあったのか。また、沙陀突厥と唐王朝の財政とは、どのような関係にあったのか。
(3)沙陀突厥に関する史料に混乱がみられるのはなぜか。
(4)安史の乱の頃に中国に存在した非漢族と唐末の沙陀突厥はどのような関係にあるのか、
(5)沙陀突厥に関する考古遺物・史料の状況はどうなっているのか、である。このような疑問に答えることを目的として、本書では二部に分けてそれぞれの問題を論じる。
The History of Shatuo Turks in Tang Dynasty