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清末政治史の再構成

―日清戦争から戊戌政変まで―

清末政治史の再構成

西太后と戊戌政変、康有為の改革案などの通説的歴史像を一新する清末政治史新論!

著者 宮古 文尋
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 近現代
シリーズ 汲古叢書
出版年月日 2017/07/06
ISBN 9784762960437
判型・ページ数 A5・296ページ
定価 7,700円(本体7,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序 章
  1 清末政治制度改革史研究の問題点   
  2 本書の構成

第一章 日清戦争以後の清朝対外連携策の変転過程
 第一節 連露策の変転過程
  1 連露の主張と主戦派による反対    
  2 土地割譲回避への執念
 第二節 連露合意とその破綻
  1 露清同盟密約の締結     
  2 膠州湾事件     
  3 ロシアの租借地要求
 第三節 連英日策の浮上
  1 連英日策への反対          
  2 英露開戦説をめぐって

第二章 外国人接見時の儀礼変更と翁同龢の免職帰郷事件
 第一節 対外宥和策としての儀礼変更
  1 同治年間以降の各国公使接見     
  2 儀礼変更要求の拒否
  3 接見場所変更の過程         
  4 接見儀礼変更の過程
 第二節 儀礼変更をめぐる光緒帝と翁同龢の確執
  1 変法をめぐる衝突          
  2 儀礼変更をめぐる衝突
 第三節 翁同龢の儀礼変更反対の理由
  1 翁同龢と張蔭桓に向けられた批判   
  2 対独交渉での屈辱

第三章 戊戌政変の契機――懋勤殿開設案と外国人招聘策――
 第一節 翁同龢の免職帰郷事件と西太后
  1 翁同龢罷免の戊戌変法への影響    
  2 翁同龢罷免前後の西太后
  3 翁同龢罷免前後の政治権力の変動   
  4 政治権力変動の意味
 第二節 西太后と戊戌変法
  1 変法推進をめぐる攻防        
  2 西太后と変法の上諭
  3 光緒帝の反抗            
  4 懋勤殿開設への反対
 第三節 懋勤殿開設案と外国人顧問官招聘策
  1 制度局開設案への西太后の態度    
  2 懋勤殿開設案
  3 外国人招聘策の浮上   
  4 懋勤殿への外国人顧問官招聘策   
  5 顧問官の役割
 第四節 伊藤博文招聘策戊戌政変
  1 外国人顧問官招聘への警戒     
  2 西太后、西苑へ     
  3 政変の決断
  
第四章 補論――戊戌政変前夜の外国人招聘策と「合邦」策――
 第一節 リチャードの外国人招聘案
  1 回想録によるadviserの語意     
  2 外国人招聘案の内容
 第二節 康有為の「合邦」策
  1 「合邦」の上奏     
  2 リチャードの提案     
  3 康有為の「合邦」解釈

第五章 張之洞と戊戌変法――『勧学篇』における民権批判と清末新政の構想――
  1 時代背景     
  2 先行研究の整理     
  3 問題意識
 第一節 『勧学篇』における張之洞の民権批判
  1 民権とは、民意を上達する権利である
  2 自主権とは、自らの才能を発揮する権利である
  3 君臣の綱を重んじ、忠愛の精神を発揮せよ
  4 民主制は、国家の大乱を招くものでしかない
  5 議院制は、君臣の綱に基づく君民共主の政治制度である
  6 議院を開設せずとも、民権は行使される
 第二節 張之洞の『時務報』への干渉
  1 張之洞による干渉     
  2 幕僚による干渉     
  3 梁啓超の証言
 第三節 『時務報』における民権論
  1 汪康年の民権論      
  2 議院の開設について   
  3 自主権の解釈
 第四節 民権批判の矛先
  1 『湘学報』と『湘報』
  2 易鼐「中国宜以弱為強説」
  3 『勧学篇』と『時務報』の相違点
 第五節 清末新政の構想――上下隔絶の是正策――
  1 アメリカ上院に倣う    
  2 江楚会奏の主張     
  3 『勧学篇』からの転向
 第六節 地方行政の構想と担い手をめぐって
  1 康有為の地方行政構想
  2 地方官に変法を託す―― 一八九七年の構想――
  3 康有為と梁啓超の変心
 
終 章
  1 対外連携策の果ての戊戌政変
  2 西太后と戊戌政変――対外連携策への警戒――
  3 変法派と戊戌政変――政治権力への渇望――
  4 まとめと展望

参考文献一覧/あとがき/中文目次/中文要旨/索引

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内容説明

1895年の日清戦争敗戦を機に、清朝では、政治制度を含む抜本的な改革の必要性を叫ぶ「変法運動」が巻き起こった。1898(戊戌)年、光緒帝は改革の実施を宣言し、「戊戌変法」が始まる。しかしながら、改革の開始から100日余り後、「戊戌政変」が起こり、光緒帝は政治の実権を失うとともに、改革は中止に追い込まれた。

一般的に、戊戌政変は、改革に反対した西太后が起こしたクーデターであると理解されている。また、改革派(変法派)が画策した西太后の幽閉計画が、袁世凱より密告されたことを契機に、西太后は政変を決断したと考えられている。

しかし、西太后は、改革に反対していなかった。そして、袁世凱による密告は、政変後のことだった。

では、西太后は、なぜ戊戌政変を起こしたのか。改革は、なぜ進展しなかったのか。戊戌政変は、改革に反対する者が改革を妨害した結果であり、政変により改革は振り出しに戻った、という従来の解釈は正しいのか。

本書では、以上の疑問を解消するべく、改革の主張と改革への反対、その内容のみならず、それらがどのような政治的立ち位置と目的から叫ばれたものであり、その背後にはどのような政治的思惑が潜んでいたのかを解き明かす。この検証により、辛亥革命へと経過を辿る、清末政治史における戊戌政変の意味と位置づけが新たにされる。

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