目次
凡 例
序章 問題の所在と方法論
第一節 韋應物詩の先行研究
第二節 韋應物略伝
第三節 先唐「悼亡詩」概略
第一章 韋應物「悼亡詩」――十九首構成への懐疑――
第一節 韋應物の妻
第二節 十九首構成について
第三節 十九首以外の可能性
第二章 韋應物「悼亡詩」と潘岳の哀傷作品との関わり
第一節 韋應物「悼亡詩」のノスタルジア
第二節 潘岳「悼亡詩」との関わり
第三節 潘岳の哀傷作品との関わり
(一)「悼亡賦」「哀永逝文」について
(二)「寡婦賦」について
第三章 韋應物「悼亡詩」と江淹詩篇との関わり
第一節 江淹「悼室人」との関わり――「佳人」について――
第二節 江淹「悼室人」との関わり――夏の歌――
第三節 江淹「雜體詩」との関わり――「寂寞」考――
第四章 韋應物「悼亡詩」と「古詩十九首」との関わり
第一節 「古詩十九首」との関わり
(一)其七「明月皎夜光」について
(二)其十六「凛凛歳云暮」について
(三)其二「青青河畔草」について
第二節 「擬古詩」十二首について
(一)「擬古詩」十二首の主題
(二)「擬古詩」十二首の成立年代
第三節 「擬古詩」十二首と「悼亡詩」
第五章 韋應物の自然詩――洛陽時代を中心に――
第一節 「自然」について
第二節 洛陽前期における自然
第三節 揚州旅行期における自然
第四節 洛陽後期における自然
終 章 自然詩と「悼亡詩」
第一節 風のうた――「情景」について――
第二節 雨のうた――「幽情」について――
第三節 「景情融合」と衰残の美
附 章 江淹の悼亡詩について
第一節 構成と成立時期
第二節 内容と特質
第三節 潘岳の悼亡詩との比較
【附 録】
原文掲載
参考文献一覧
索 引
内容説明
【序章 問題の所在と方法論より】
詩史を俯瞰する際、ある時期の傾向や特質を端的に表す術の一つとして、代表的詩人の並称がある。
中唐・韋應物(七三五?~七九〇?)は、ほかの詩人と並称されることが多く、晩唐の司空圖(八三七~九〇八)が、「王右丞・韋蘇州は、澄澹精緻、格は其の中に在り」と、盛唐・王維(七〇一?~七六一)と並称するのに始まって、枚挙に遑ない。その中で、主要例を挙げると、北宋・蘇軾(一〇三六~一一〇一)は、李白・杜甫を「英偉絶世の姿」と高く評価し、その後の詩人たちの才は李杜に及ばないが、「独り韋應物・柳宗元のみ繊穠を簡古に発し、至味を淡泊に寄するは、余子の及ぶ所に非ず」と、柳宗元(七七三~八一九)と並べる。南宋・劉須溪(一二三一~一二九四)は、盛唐・孟浩然(六八九~七四〇)と並称して、「二人の意趣相似るも、然れども入る処は、同じからず。韋詩の潤なる者は石の如く、孟詩は雪の如し」と比較する。明代に入ると、右の評語をまとめた形で、明・張以寧(一三〇一~七〇)が、東晉・陶淵明(三六五~四二七)を継承するのは、「韋孟王柳」の四家で、彼らの秀作は、「精絶超詣、趣は景と会す」と述べる。〈景〉即ち自然の風景であり、韋應物は、唐代を代表する自然詩人の系譜の中に位置づけられ、詩論の多くもそれを対象としている。論者も異を唱えないが、韋應物は、自然詩のほかに、数多くの悼亡詩をも詠じた。妻元蘋(七四〇~七七六)の死を悼み、墓誌銘を記すとともに、詩作によって幽魂を慰撫した。それらの作品の特異性、独自性は際立っており、彼の詩作においても、また文学史においても看過し得ない重要性を孕んでいる。拙論はそれを実証し、従来の詩論とは異なり、悼亡詩を中核に据えて、韋應物詩の本質を闡明せんとする試みである。
悼亡詩とは、西晉・潘岳(二四七~三〇〇)の作を嚆矢とする。それは、『文選』巻二三「哀傷」に「悼亡詩三首」「潘悼」と略す)と題して収録され、以後、妻(または愛する女性)の死を悼む詩として、詠い継がれていく。「悼亡」という語について、『文選』の唐・李善(?~六八九)注は、「風俗通に曰く、終りを慎しみ亡を悼む」を引いている。「愼終」とは、『論語』学而の「曾子曰く、終りを愼しみ遠きを追へば、民の徳、厚きに帰す」を踏まえ、「喪に其の礼を尽くす」(朱注)の意である。したがって「悼亡」とは、礼を尽し、懇ろに死を悼むことを意味する。
拙論は、韋應物詩の〈景〉を「悼亡」という〈情〉の観点から照射する試みでもある。また安史の乱後の荒廃した世情を共有する大暦年間の詩風との関わりをも視野に入れ、共時的横軸とする。以上のような方法を用いて、一代を画する「韋悼」が、なぜ出現し得たのか、それはいかなる特質や、意味を有するかについて考察し、ひいては韋應物詩の本質に迫り、中唐詩の一端を明らかにしたい。
Theories on Wei Ying wu’s Poetry――Mainly Poetry of Mourning――