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篠屋宗礀とその周縁

近世初頭・京洛の儒生

篠屋宗礀とその周縁

◎多彩な交際圏を持ち、近世初期の京洛の学芸文事に重要な足跡を残した一文化人のすがたが、初めて明らかに!

著者 長坂 成行
ジャンル 日本古典(文学) > 近世文学
日本古典(文学) > 近世文学 > 儒学国学
日本史
日本史 > 近世
出版年月日 2017/02/07
ISBN 9784762936326
判型・ページ数 A5・320ページ
定価 8,800円(本体8,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

第一章 宗礀探索の発端と資料
 一 『大雲山誌稿』多福の記事から   
 二 宗礀宛書翰の存在   
 三 宗礀の生没年 

第二章 五山僧との交流、漢和聯句会への参加
 一 玉仲宗琇からの書翰        
 二 惟杏永哲から詩会への招聘
 三 鹿児島から剛外令柔の書翰     
 四 某休閑の宗礀宛書翰
 五 近衛信尋邸での詩歌会       
 六 里村紹巴からの書翰
 七 玄仲に『源氏物語』松風の書写を依頼

第三章 宗礀と西洞院時慶・加藤清正
 一 西洞院時慶と下津棒庵
 二 宗礀と加藤清正
 三 宗礀の息甚蔵、伊達政宗を接待、および三宅亡羊『履歴』のこと
 四 宗礀と西洞院時慶、その後
 五 江湖散人栩子の加藤清正追悼文
 六 無名子作、老野狐と余との問答

第四章 宗礀と文英清韓
 一 文英清韓の履歴
 二 清韓、宗礀作の詩編を称賛
 三 文英清韓の宗礀宛書翰
 四 清韓、伊勢の実家への書翰
 五 清韓から長谷川左兵衛宛書翰
 六 文英清韓のその後

第五章 中院通勝の源氏講釈と浅井左馬助・烏丸光広 
 一 中院通勝の『源氏物語』講釈と『源語秘訣』
 二 源氏講釈と浅井左馬助
 三 中院通勝の浅井左馬助宛書翰
 四 京都での浅井左馬助
 五 浅井左馬助と烏丸光広
 六 宗礀と烏丸光広
 七 藤原定家筆『十五首和歌』をめぐって 
 八 中院通勝の畊庵宛書翰

第六章 宗礀と林羅山との交流 
 一 林羅山、宗礀に寄する序
 二 宗礀、林羅山を称える詩文
 三 林羅山、宗礀叟に答ふ
 四 林羅山、祖愽詩を和し、兼て宗礀に寄する詩
 五 林羅山の宗礀宛礼状

第七章 宗礀と智仁親王、漢籍講釈
 一 智仁親王の古典漢籍受講
 二 宗礀、智仁親王に『孟子』・『史記』を講釈
 三 『智仁親王詠草類 二』所収の漢詩について    
 四 元和二年北陸行の漢詩は宗礀作

第八章 宗礀と中院通村
 一 堀河具世筆『八代集』をめぐって         
 二 中院通村補筆の『古今集』下巻と偏易
 三 偏易の経歴と事績                
 四 中院通村と宗礀、古典籍をめぐって
 五 烏丸光広の富士山詠をめぐる噂話と中院通村    
 六 前田利常、中院通村に『源氏抄』を所望
 七 『桑華字苑』にみる宗礀父子の評         
 八 水宿子から宗礀宛書翰
 九 加賀前田家からの書物と中院通村         
 十 『泰重卿記』にみえる宗礀

第九章 宗礀の加賀行きと松永昌三・王国鼎
 一 松永昌三、宗礀の加賀行きに同行       
 二 『賀州行紀』について
 三 『賀州行紀』の宗礀・昌三の漢詩       
 四 宗礀の菊花詩に和する松永昌三の詩文
 五 王国鼎の宗礀宛書翰             
 六 王国鼎の事績

第十章 松永昌三の『宗礀老生誄并叙』
 一 宗礀の死を惜しむ      
 二 素質・人格に優れ、若くして逸材たること
 三 音曲を楽しむ        
 四 壮年に至り反省し、寸暇を惜しみ学問に専念する
 五 六藝・百家を学ぶ      
 六 声望あり、講筵に受講者多し   
 七 特に儒学を教授する     
 八 詩作・文章・和歌に優れる
 九 世俗の諸分野にも通暁    
 十 肥侯(加藤清正)に招かれ往還す
 十一 肥侯没し、宗礀京に帰る 
 十二 加賀太守(前田利常)に招かれ、儒学を推奨する 
 十三 松永昌三、宗礀の加賀行きに随行、詩作などの薫陶に感謝
 十四 疲労のため発病を恐れ、昌三帰京する 
 十五 宗礀、龍安に僧房を創建す。昌三、隠居家を訪い歓談
 十六 宗礀、病に臥す      
 十七 宗礀、没す      
 十八 小括

結び 篠屋宗礀の生涯


附章 多福文庫について
 一 「多福文庫」印をめぐって   
 二 多福文庫旧蔵書および宗礀が関係した典籍

篠屋宗礀年譜稿 


参考文献
あとがき
索引(人名・書名・研究者名・蔵書印印文) 


(平成28年度日本学術振興会助成図書)

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内容説明

 

【「はじめに」より】(抜粋)

 篠屋宗礀の名は名鑑・事典・系図類に見出し難く、管見の限りでは芳賀矢一編『日本人名辞典』に、「ソウカン 宗間(篠屋)儒者。京都の人。己陳齋と號す。八條親王に侍して史記を講ず。林羅山の友。慶長頃の人。」とあるのが唯一で、この記述の依拠資料は、後で触れる宗礀宛林羅山書翰と思われる。

 最初に結論を言えば、宗礀は慶長・元和の頃、京都において儒者にして医にも理解が及んだ人物と思われる。若年の林羅山と知り合い、智仁親王に漢籍を講じ、公家や五山僧・連歌師などと文事を中心に多彩な交際圏を持った。儒を以て肥後の加藤清正に仕え、のちには加賀の前田利常にも招かれたが、京都に拠点を置いた、おそらくは裕福な町衆であっただろう。また従来印主が確定されていない「多福文庫」印は、宗礀の印かと推測される。本書はほとんど忘れ去られた宗礀の事績を追尋し、その周縁で関わりを持った人物との交流を探り、近世初期の京洛の学芸文事に、重要な足跡を残した文化人として定位させることを目標とする。併せて「多福文庫」印のある書物を紹介し、散逸した多福文庫のささやかな復元を試みる。宗礀の事績は、従来まったく注目されておらず、本書では彼に関わる未紹介の資料、あるいは断片的なものについても意を用い、その注解的な記述も試みたゆえ、いささか煩瑣な論述になることをお断りしておく。

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