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唐代伝奇を語る語り手

―物語の時間と空間―

唐代伝奇を語る語り手

唐代伝奇研究に「物語論」を用い、語りの形式・物語の内容を明らかにし作品の新たな解釈を提示する

著者 葉山 恭江
ジャンル 中国古典(文学)
中国古典(文学) > 唐宋元
出版年月日 2016/12/23
ISBN 9784762965814
判型・ページ数 A5・240ページ
定価 8,250円(本体7,500円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序 (大東文化大学文学部中国学科教授 門脇廣文)

序 論
 第一章 本研究の目的と方法
 第二章 日本における唐代伝奇研究の現状と課題
   第一節 唐代伝奇研究史(一九四六~二〇一四年)の概括
        論文数
        研究内容の分類
        文学研究の方法と立場
   第二節 唐代伝奇研究と「創作の意図」あるいは「主題」
        一九七〇年代
        一九八〇年代
        一九九〇年代
        二〇〇〇年代
        まとめ
   第三節 中国古典文学研究とテクスト論
 第三章 本書の構成


第一部 理論篇

 第一章 物語論(ナラトロジー)の概説
   第一節 時間
   第二節 叙法
   第三節 態

 第二章 唐代伝奇の語りの分類――語り手と物語世界の関係から――
   第一節 異質物語世界外タイプ
        物語のみ
        物語を批評する
        物語の由来を記す
        由来と批評を記す
   第二節 等質物語世界外タイプ 
        自己物語
        記録者
   第三節 異質物語世界内タイプ  
   第四節 等質物語世界内タイプ

 第三章 「謝小娥伝」の語り――語り手「私」と作中人物「私」の関係――
   第一節 「謝小娥伝」のプロットおよび作品構成
        プロット
        作品構成と語り手
   第二節 語り手「私」と作中人物「私」の関係
        物語世界の外で語る「私」
        語る速度と物語内容との距離
   第三節 作中人物の関係
        「私」と謝小娥
        「私」と君子


第二部 実践篇

 第一章 「古鏡記」の語り――語り手王度に語られた王度と王勣の物語――
   第一節 「古鏡記」のストーリーとプロットおよびテクスト構成
        ストーリーとプロットのずれ
        「古鏡記」のテクスト構成
   第二節 王度の物語と王勣の物語の関係
        王度の一人称の物語に挟まれる王勣の三人称の物語
        王度の物語の中に含まれる王勣の物語
   第三節 「古鏡記」に表現された王度と王勣の人物像の共通性と差異性
        儒家的な王度と道家的な王勣
        「語り」から見た王度の物語と王勣の物語の関係

 第二章 「南柯太守伝」の時空と語りの枠――生き直しをさせられた夢――
   第一節 淳于棼は「少年」か
        「南柯太守伝」の夢の特徴
        「少年」淳于棼
        少年のイメージ
   第二節 淳于棼の父は何処にいるのか
        冥界性と淳于棼の父
        作中人物の生死と空間
        淳于棼の父がいる場所
   第三節 淳于棼の夢とは何であったか
        淳于棼の人生にまつわる時間標識
        淳于棼の人生と語りの枠
        生き直しをさせられた夢

 第三章 「南柯太守伝」に含まれる二つの焦点化――物語に介入する語り手――
   第一節 語り手は誰が知覚したものごとを語るか
        語り手と物語の関係
        「見」に表れる作中人物淳于棼の視点
        作中人物の心情の語りと語り手
   第二節 「国有大恐、都邑遷徙」をめぐる異なる二つの視点
        槐安国と現実をつなぐ「国有大恐、都邑遷徙」
        淳于棼の視点と国王の視点 
   第三節 物語内に介入する語り手
        姿を現す語り手と姿の見えない語り手
        国王の知覚と淳于棼の知覚をつなぐ語り手

 むすびにかえて


付録 唐代伝奇関係研究文献目録
主要参考文献
初出一覧
あとがき
索引

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内容説明

【序論より】(抜粋)

  本研究は、唐代伝奇について、「物語」の語り手と物語世界の関係を中心として検討することにより、唐代伝奇の語りの特徴を明らかにしようとするものである。

中国文学史において、六朝志怪が事実を記録したものとされるのとは異なり、唐代伝奇は、作者が何らかの創作意図をもって書いた作品群として位置づけられている。そのため、従来の日本の唐代伝奇研究では、書かれた「内容」が何であるかを読み取ることによって、「創作の意図」や作品の「主題」を考えるという研究が多くなされてきた。一方で、唐代伝奇の表現の「形式」がどのようであるかという面から検討した研究もあるが、その数は必ずしも多くない。本研究では、唐代伝奇の「形式」を検討するに際して、主としていわゆる「物語論(narratology)」を検討の方法として用いる。「物語論」とは、テクストの構造を読み解くことをめざす構造主義の流れをくむ文学理論であり、中国では「叙事学」と呼ばれているものである。本書では特に、ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』および『物語の詩学―続・物語のディスクール』に示された「物語の言説の研究」のことを「物語論」と呼ぶことにする。「物語論」を中国文学研究に用いた日本での先行研究として、まず中里見敬氏『中国小説の物語論的研究』を挙げることができる。そのほか、近代小説を対象とした平井博氏、景慧氏、津守陽氏らの研究がある。しかし、唐代伝奇を本格的に検討したものは、本書が日本においては初めてのものである。

本書は、唐代伝奇の検討に際して、特に次の三点から論じている。

①ストーリー(できごとが起こった順序)とプロット(できごとが語られる順序)の問題

②物語に語られたそのできごとを見ているのは誰かといういわゆる「視点」の問題

③物語を語る「語り手」の問題

唐代伝奇では、その語られたできごとが伝えられた経緯が、物語の初めや終わりに語り手によって語られる場合がある。「古鏡記」や「謝小娥伝」「南柯太守伝」はその例である。一般に「古鏡記」「謝小娥伝」は「一人称」の物語で、「南柯太守伝」は「三人称」の物語であると考えられている。しかし筆者は、語り手がどのような位置から、誰が体験した物事を、どのように語っているかを検討することで、「一人称」「三人称」という区分では分析できない唐代伝奇の語りの形式の特徴や、物語の内容を明らかにし、作品の新たな解釈を提示できるものと考えている。

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