目次
一 遼における多元性をめぐって
二 「征服王朝論」と「唐宋変革論」
三 本書の目的と構想
四 遼朝・契丹国の呼称について
第一部 遼における渤海的秩序の継承と変化
第一章 東丹国と東京道
一 東丹国は廃止されたのか
二 東丹国と東京道
三 東丹国の渤海人
四 再び東丹国の廃止について
補説一 東京と中台省―「東丹国と東京道」再考察―
一 康鵬「東丹国廃罷時間新探」
東京の建置と東丹国の廃止
東丹国の外交活動の終焉
象徴としての東丹国とその終焉
二 康鵬説の検討
三 中台省と東京の関係
渤海宰相羅漢―東丹国・東京と横帳季父房
東京留守と中台省の関係
第二章 十世紀の東北アジアの地域秩序―渤海から遼へ―
一 渤海滅亡後の東北アジアの諸集団と「中国」・朝鮮半島との関係
所謂「後渤海」の活動
黒水の活動
女真の活動
定安国の活動
二 遼における渤海的秩序の継承
東丹国使の日本派遣
遼と「中国」との交渉と東北アジア
遼と高麗との交渉と東北アジア
三 渤海的秩序の変化
九世紀後半の東北アジアをめぐる諸勢力の動向
渤海的秩序の変化
補説二 十一世紀における女真の動向―東女真の入寇を中心として―
一 東女真の入寇の概観
二 時期による入寇の消長とその分析
高麗の状況
女真の状況
遼の状況
三 東女真をめぐる遼と高麗の態度
第二部 遼の州県制と藩鎮
第三章 遼の「燕雲十六州」支配と藩鎮体制―南京道の兵制を中心として―
一 遼における藩鎮体制の継承
藩鎮の軍事行動
衙(牙)隊(軍)
二 南京の兵制
南京都元帥府、兵馬都総管府
南京統軍司
南京馬歩軍都指揮使司と南京侍衛親軍馬歩軍都指揮使司
各機関の関係
第四章 遼の斡魯朶の存在形態
一 「宮衛条」の検討
二 各斡魯朶の成立からみた斡魯朶と所属戸との関係
先行研究の整理
斡魯朶と斡魯朶所属州県の関係
聖宗以降の斡魯朶
三 斡魯朶の所在地
斡魯朶の所在地と従行の人戸
斡魯朶と群牧
第五章 オルド(斡魯朶)と藩鎮
一 人事から見た斡魯朶所属州県
二 行政・軍事からみた斡魯朶所属州県
三 財政から見た斡魯朶所属州県
四 渤海の州県制と斡魯朶所属州県
第六章 頭下州軍の官員
一 「陳万墓誌」にみえる頭下州軍の官員の地位
二 その他の頭下州軍の官員の事例
胡嶠
張建立
閻貴
三 遼朝官制における頭下州軍の官員
頭下州軍の官の位階
「部曲」からの昇進
第三部 遼の選挙制度と地方統治
第七章 遼の武臣の昇遷
一 『宋会要輯稿』にみえる遼の階官
二 漢人官僚の昇遷事例と唐・宋の武臣の序列
漢人官僚の昇遷事例
唐・宋の武臣の序列
三 契丹人官僚の遷転事例と著帳官
契丹人官僚の遷転事例
著帳官の位置づけ
四 官僚の出自と初任
第八章 遼朝科挙と辟召
一 統和六年以前における「漢人」官僚の主要入仕経路
恩蔭
流外
辟召・奏薦
科挙
二 統和六年の科挙恒常化と辟召の減少
摂官事例の減少
辟召闕に対する朝廷の人事権の拡大
科挙及第者の官歴からみた藩鎮人事権の制限の動き
第九章 景宗・聖宗期の政局と遼代科挙制度の確立
一 南京礼部貢院復置の詔
二 高勲と玉田韓氏・室昉
枢密使、大丞相、秦王、兼南面行営諸道兵馬総管、燕京留守高勲
高勲執政下における漢人の人事
玉田韓氏
室昉
三 科挙恒常化への道
第十章 遼朝における士人層の動向―武定軍を中心として―
一 武定軍の地理
二 遼朝前半期における武定軍と士人
統和十年前後の武定軍の人的構成
在地有力者と武定軍
武定軍における他地域出身官僚
三 遼朝前半期の官僚の家系―大族および文官を中心に―
大族
文官の家系
四 遼朝後半期の武定軍の士人
補説三 唐後半期から遼北宋初期の幽州の「文士」
一 五代における幽州文士
二 唐後半期の幽州と士族
八二〇年代以降の幽州来到者たち
唐朝の幽州支配の放棄と幽州に対するイメージの変化
三 長慶元年以降の幽州における新興「文士」層の成長
―張建章の事例を手がかりとして―
終 論 世界史の中で遼代史をいかに位置づけるか
一 第一部「遼における渤海的秩序の継承と変化」
二 第二部「遼の州県制と藩鎮」
三 第三部「遼の選挙制度と地方統治」
参考文献
初出一覧
あとがき
英文目次
索引
内容説明
【本書より】(抜粋)
十世紀初頭に成立し、その後二百余年にわたりモンゴリア、マンチュリア、中国本土北辺を支配した遼=契丹国(以下、遼と称す)は、次の二点において歴史研究上の意義を有すると考えられる。 第一に、多文化社会の在り方を理解するための格好の事例であることである。遼はその支配領域内に、さまざまな文化的・社会的背景が異なる集団(容易に確認できるものとしては「契丹人」と「漢人」が挙げられよう)を包含し、それらの集団が互いに多種多様な形で接触を行っている。多文化社会や異文化接触自体は歴史を通じて普遍的に見られる現象であり、その具体像を明らかにするのは歴史研究において主要な課題の一つであることはいうまでもない。遼の研究はその一翼を担うものとして位置づけられよう。
第二に、遼が現在の中国を考える上で重要な転換期に位置していることである。遼は所謂「征服王朝」の時代の端緒であり、その統治を解明することは、続く金・元史を理解する上で大きな意味を持つ。他方、遼代は中国史上で「唐宋変革」と称される社会変動の時期に相当している。遼と「唐宋変革」はこれまでほとんど関連づけられてこなかったが、時期と地域を考慮すれば、両者を無条件に関連のないものとすることは問題があり、両者の関係を検討することにより、この変動期について新たな知見を得ることが期待できる。本書ではユーラシア世界を一体の歴史世界として理解する立場から「中国史」における「北流」と「南流」を統合的に把握することを中心的な課題としつつ、遼における多元的状況の統合の在り方についてその一端を明らかにすることを目的とする。その目的を達成するには多くの分析視角が考えられるが、本書では「渤海」と「藩鎮」を軸として遼の地方統治についての検討をおこなうことで遼の国家統合のあり方を明らかにするという方法をとる。
Balhae and Fanzhen: A Study of Regional Governance in the Liao Period