内容説明
【内容目次】
はじめに―中国伝統社会への視角―……………………… 近藤一成
北宋開封における多重城郭制と都城社会の変容
―比較都城史の観点から― ……………………………… 久保田和男
書法鑑賞の場からみた南宋朱熹の美意識 ……………… 津坂貢政
『西隠文稿』からみた元明交替と北人官僚 ……………… 飯山知保
遼代の遊幸と外交―もう一つの伝統「中国」―…………… 高井康典行
劉宰の人間関係と社会への関心………………………… 黄 寛重(山口智哉訳)
知識から実践へ―真徳秀の『易経』活用―…………… 廖 咸恵(梶田祥嗣訳)
南宋中葉の知識ネットワーク―「譜録」類目の成立から―
…………………呉 雅婷(小二田章訳)
図籍の間接的流通再論―元代『三礼図』を例として―
…………………許 雅恵(原信太郎アレシャンドレ訳)
大隠は「士」に隠る―「元史・隠逸伝」に見る元代の隠逸―
…………………陳 雯怡(櫻井智美訳)
宋代における手紙の政治的効用
―魏了翁『鶴山先生大全文集』を手がかりとして―………… 平田茂樹
あとがき(近藤一成)/宋代史研究会の歩み/執筆者紹介/中文要旨
【はじめに―中国伝統社会への視角―】より(抜粋)
中国史上に宋代をどう位置づけ、明清に至る歴史過程をどう捉えるかを問題にするとき、すでに言われていることであるが、改めて強調したいのは、五代・十国―遼・北宋―金・南宋―元―明―清という北流と南流の分離と統一の歴史のもつ意味である。北族の影響を受けた中原の五代政権と唐文化の継承を意識した政権を含む十国を統合した宋朝は、後周の政治体制をとりあえず継承し、南唐・蜀政権下の文化の移植に努めた。その後の文治体制の確立による南人科挙官僚の急速な台頭は、新旧両党派の争いなど各種の摩擦を生むが、統一政権の下での相対的に平和な一五〇年間は新たな社会体制を醸成するに十分な時間であったろう。しかし次の一五〇年間は再び北と南が分離して各々独自の歴史が展開する。この間、南と北は北宋体制をどのように継承・変容させ独自の社会を形成したのかが一つの課題となる。次のモンゴル元代の一〇〇年は再び統一の時代を迎えるが、大元ウルスの下、中国本土の基層社会の構造は北の金朝、南の南宋治下を基本的に継続したと考えてよいのか否かが第二の課題であろう。明代は中央政府が統一政権として南北の基層社会に再び同時に向きあう時代となった。(中略)王朝を単位とする断代史の手法は、中国史の理解にとって確かに限界があるとはいえ、そこからしか見えないこともまた多々ある。北宋と明は一代にわたって北方からの脅威に晒され、その軍事圧力に対抗した王朝である。北辺に配置された膨大な軍を経済的に支えたのは南、とくに東南地域であった。軍糧充当の仕組みは時代によって、また時期によってさまざまであるが、東南末塩の果たした役割は大きい。巨視的に見れば宋の塩鈔法や明の開中法は、軍糧確保の専売政策が流通経済に影響を与える好例であり、信用経済の発展や全国規模での経済構造の形成とも関連していた。一方、元と清の時代は、北族の脅威に対抗する北辺での膨大な軍の駐屯は当然ながら無いし、従ってそれを支える経済構造も必要無かった。こうした違い、漢族政権と非漢族政権の違いが、中国社会の経済構造にどのような特質をもたらしたのか、さらには同じ漢族政権でも宋の銅銭と明の銀という主要貨幣の違いは、東アジア規模と新旧大陸規模という考察範囲の大小に直結し、中国王朝の比較検討という課題を提起する。実証史学としての宋代史研究がなすべきことは多い。