内容説明
【内容目次】
序
第1章 〈摩(サタ)羅(ニック・)詩 派(スクール)〉の始祖
神に挑戦するバイロン
第2章 もう一人の〈摩(サタ)羅(ニック・)詩 派(スクール)〉
詩人の精神界の戦士シェリー
第3章 バイロニズムのロシヤへの波動
プーシキンとレールモントフの対立する詩精神
第4章 亡国ポーランドの心の表現者
復讐の詩人ミツキェーヴィチとスウォヴァツキ
第5章 ハンガリーの自由の歌い手 戦場に散ったぺテーフィ
結 び
あとがき・参考文献・「摩羅詩力説」登場詩人 略年譜・索引
【本書】より(抜粋)
この「摩羅詩力説」は、『河南』に掲載された六篇の内、詩(文学)とは何かを主題とする唯一の文章であり、そこには彼の意図した文芸運動の核心的意味が書き込まれていると考えられる。これが本書で「摩羅詩力説」の内容を詳しく考察しようと思う動機になった。「摩羅詩力説」は、令飛の筆名で『河南』に発表された。
題名は、1821年、イギリスの桂冠詩人ロバート・サウジーが、詩「審判の幻覚」の序文の中で、社会の道徳を脅かす詩を書く詩人としてバイロンやシェリーを名づけた「Satanic school(悪魔派)」に由来する。「摩羅詩力説」は、九章からなる文言の文章である。第一章から第三章までが、序論(或は、総論)といえる部分、第四章から第九章の前半までが個別の詩人達について説いた各論に当り、第九章の後半が結びとなっている。
本書が論考の対象とするのは、「摩羅詩力説」の中心部分、第四章から第九章の前半までに登場するこれらの詩人達についてである。本書では、材源のテキストに対する影響関係の検討を主軸とする比較文学的手法によって、「摩羅詩力説」の内容を考察しようと思う。魯迅は、これら言語も内容も異なる著作から材源を採って「摩羅詩力説」を書いた。「摩羅詩力説」の原文を材源と対照してみると、材源の趣旨を咀嚼して自分の文章に用いるというようなものではなく、ほとんど引用に近いやり方で材源を切り取り、自らの文章に取り込んでいることが分かる。しかしながら、材源の当該箇所に於ける文脈と、その材源を用いた「摩羅詩力説」の文脈とは、比べてみると同じであるとは限らない。材源は全く別の文脈に埋め込まれて逆の意味を生じている場合もある。その材源の運用から見えてくるのは、「摩羅詩力説」は、魯迅のある意図のもとに構成されているということである。「文章はまるでかき集め」だと魯迅はいっているが、実は、ただかき集めたというものではないのだ。材源の用い方を検討すると、魯迅が描いた詩人像の特質が次第に明らかになってくる。さらにそこから、文字面のみからは看取できない「摩羅詩力説」の主張が浮き彫りになってくるのである。
本書の目的は、材源運用の検討を通じて、魯迅が如何なる意図のもとにどのような詩人像を作り上げたのかを、明らかにしようということにある。第九章後半で、魯迅は「摩羅詩力説」を次のように結んでいる。
彼ら詩人達は民族や環境が違ってはいても、「いずれも剛毅不撓の精神をもち、誠実な心をいだき、大衆に媚び旧風俗習に追従することなく、雄々しき歌声をあげて祖国の人々の新生を促し、世界にその国の存在を大いならしめた」者として、「同じ流れに結ばれ」ているのだ。魯迅は彼らを「精神界の戦士」とよぶ。そしてまたもや彼は、中国に彼らに比肩しうる詩人がいるだろうかと、憂慮するのである。魯迅の願いは、まさに「精神界の戦士」よ中国に出でよ、ということである。