内容説明
【主要目次】
序章 近代中国「社会教育」史研究の現状と課題
一 問題の所在〔中国の近代・中国教育の近代・「社会教育」研究
の必要性〕
二 近代中国「社会教育」史の現状と課題〔近代中国「社会教育」
史研究の現状・「社会教育」史研究の課題と本書の位置〕
三 本書の構成
第Ⅰ部 「社会教育」の導入と組織化
―清朝末期〜中華民国北京政府期―
第一章 「社会教育」の導入―清末民初天津の教育事情―
一 清末民初における近代教育の普及状況〔天津の歴史的背景
・教育の普及度〕
二 清末天津における「社会教育」の導入〔清末天津の「社会
教育」と林兆翰・「社会教育」の内容〕
第二章 「社会教育」の組織化①―中華民国北京政府期における
天津社会教育辦事処の活動―
一 「社会教育」の展開と通俗教育会の成立
二 天津社会教育辦事処による「社会教育」の展開〔天津におけ
る通俗教育会
―社会教育辦事処の成立・教育活動・社会事業〕
三 社会教育辦事処による「社会教育」の「伝統」的性格
第三章 「社会教育」の組織化②
―天津警察庁と天津県教育局の取り組み―
一 学校式「社会教育」の変遷〔清朝末期・中華民国北京政府期〕
二 中華民国北京政府期天津における学校式「社会教育」
〔学校式「社会教育」登場の背景・天津警察庁と天津貧民
半日学社・天津警察庁が教育に携わった理由〕
三 平民教育をめぐる不調和―警察庁と教育局〔天津における
平民教育・天津県教育局による平民教育運動・教育局に
よる平民教育の頓挫と貧民半日学社の存続〕
第Ⅱ部 「社会教育」の拡大化と緻密化
―南京国民政府期〜国共内戦期―
第四章 一九二〇年代後半〜四〇年代天津における義務教育の
進展とその背景
一 義務教育政策の変遷〔南京国民政府期・日中戦争期以降〕
二 天津における小学校の増加とその背景〔全体的な動向・
各時期における小学校増加のありようとその背景
三 教育弱者への義務教育普及度の変化〔人口増と学生増
との関係・教育弱者と義務教育との関係・教育弱者が学校
に通うようになった理由〕
第五章 「社会教育」の拡大化―南京国民政府の成立と天津
「社会教育」の変容―
一 天津市教育局の成立と天津「社会教育」の変容
〔天津市教育局の成立・天津市教育局による「社会教育」
概観・「社会教育」の新展開〕
二 広智館グループの動向〔社会教育辦事処から広智館
グループへ・広智館グループの活動・広智館グループと
天津市教育局との関係〕
第六章 「社会教育」の緻密化
―民衆教育館による「社会教育」の変容―
一 民衆教育館について〔民衆教育館成立の背景・民衆
教育館の役割〕
二 「社会教育」中心機関への道程―国民政府期天津の
民衆教育館〔第一民衆教育館・民衆教育館化した各通俗
講演所及び通俗図書館・第二民衆教育館〕
三 「社会教育」活動の緻密化―日中戦争期天津の新民
教育館〔社会教育区の設置と民衆教育館の増加・
「社会教育」活動の緻密化・民衆との関係〕
第Ⅲ部 「社会教育」の大衆化―中華人民共和国初期―
第七章 「社会教育」の大衆化―「社会教育」と大衆運動―
一 「社会教育」の展開〔初等教育の普及状況・
「社会教育」の普及状況〕
二 「社会教育」と大衆運動〔文化館、識字班、業余学校での
宣伝・家庭や社会での宣伝〕
三 「社会教育」の限界〔識字班の教員・宣伝隊の宣伝員・
各事業の整頓〕
補 論 文化大革命期に作成された個人資料の教育史研究への応用
―「天津市紅橋区煤建公司従業員関係檔案」について―
一 史料の背景について〔天津市紅橋区煤建公司が所在する
地域について・天津市紅橋区煤建公司について〕
二 史料の内容〔ファイルの形式・履歴書の形式〕
三 教育史への応用
終 章 近代天津の「社会教育」―教育と宣伝のあいだ―
一 本書の成果〔本書のまとめ・教育と宣伝のあいだ・本書の意義〕
二 今後の課題
附 録 丁国瑞『竹園叢話』について―附:各集目次―
一 丁国瑞について〔伝統医師として・「社会教育」家として〕
二 『竹園叢話』について〔『竹園叢話』へのアクセス・
『竹園叢話』の構成・『竹園叢話』の史料的価値〕
附:丁国瑞『竹園叢話』各集目次一覧
引用文献一覧/あとがき/英文要旨/中文要旨/索引
【序章】より(抜粋)
「近代教育」といったとき即座に連想するのは何であろう。学校教育、なかでも義務教育としての初等、中等教育が真っ先に思い出されるのではなかろうか。なるほど学校教育は「近代教育」の中心をなすものであり、いわゆる「国民」を形成する上で大きな力を発揮してきた。しかし「近代教育」は学校教育以外にも多くの事業を抱えていた。それは、義務教育を修了した成人に対する教育や、義務教育を受けられない児童に対する教育など、主に学校の外で行われた教育事業のことである(これら教育事業を本書では「学校外の教育」と表現する)。こうした「学校外の教育」もまた学校教育と同様、各地の「近代教育」を構成する上で欠くことのできない要素であり、日本においても社会教育または生涯教育という名で実践されてきた。
中国においても「学校外の教育」は主に「社会教育」という名で二十世紀初頭に導入され、その後「通俗教育」、「平民教育」、「民衆教育」など様々な類似する教育思想・方法を包含しながら独自の展開を遂げた。もっとも、中華人民共和国成立以降、教育行政の場における「社会教育」という語の使用頻度は大きく減少す。それに代わるかたちで登場したのが「工農教育」や「掃盲教育」などで、それらは後に「成人教育」のカテゴリーの中に入れられて現在に至っている。その背景には、人民共和国成立後における教育をとりまく国家や社会のあり方の変化、特に中国共産党の「社会教育」に対する姿勢の変化があるものと考えられる。このように、現在中国の行政では「学校外の教育」のことを「社会教育」と呼ぶことが従来に比べ少なくなったが、筆者が関心を持っているのは、行政において「社会教育」という語が盛んに使用されていた時代、具体的には清朝末期から一九五〇年代初頭に展開されていた「学校外の教育」についてである。そこで本書では、そうした時代を「『社会教育』の時代」として中国社会教育史の中に位置づける。そして、その「社会教育」の形成および変容の過程を天津という開港都市での例をもとに、地域の視点から長期的に検討していく。「社会教育」を論ずることが中国近現代史研究においていかなる意味を持つのか。「社会教育」がこれまでどのように論じられてきたのか。
そして先行研究に対する本書の独自性は何か。これらの問題について論じたい。